阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

2013年09月

MMJ(毎日メディカルジャーナル、毎日新聞社の季刊医学雑誌)の2013年9月「国際ニュース」欄に、周術期β遮断薬療法に関する欧米のガイドラインの根拠となった臨床試験にデータ捏造が明らかになったという報告書が紹介されていた(http://cardiobrief.files.wordpress.com/2012/10/integrity-report-2012-10-english-translation.pdf)。
欧州心臓病学会(ESC)と米国心臓病学会/米国心臓協会(ACC/AHA)のガイドラインのエビデンスとなっている臨床試験、Dutch Echocardiographic Cardiac Risk Evaluation Applying Stress Echocardiography(DECREASE)に関して、約2年前にデータ捏造疑惑が浮上し、内部調査した結果、10年以上前の試験を除きDECREASE II~VI に重大な不備・欠陥が見つかり、いずれも信頼性にかけることが明らかになった。DECREASE試験を主導したオランダの研究者Don PoldermansがESCガイドライン作成委員会の議長を務めていたこともあり、周術期β遮断薬療法の推奨はいまや砂上の楼閣とみられている。

なぜそのような信頼性に欠ける結果が公表されたのか、原因は何かについて詳細な記述は無い。ガイドライン作成の中心人物のデータ捏造であるから、製薬会社からの利益供与が疑わしいと考えるのが当然だろう。驚いたのは、β遮断薬投与が一部の疾患を増加させることだ。β遮断薬は心筋梗塞を減少させたが、脳卒中を有意に増加させたと言う。
英国では年間およそ250万件の高度・中等度リスク手術がガイドライン(周術期β遮断薬療法)の適応とされ、これらの手術において5万人弱が30日以内に死亡している。しかし[研究を発表した]グループは、β遮断薬を控えれば、医原性の死亡を毎年最大で1万人防げると推計、ねつ造データに基づくガイドラインの推奨を一日も早く撤回すべきだと主張している。

これが真実なら大変なことだが、ESCとACC/AHAは、現時点ではガイドラインの推奨を堅持しており、ガイドラインは他の多くのエビデンスを併せて検討した結果なので、この報告の影響を受けないとしているのだそうだ。更なる研究が早急に実施されることを望む。

データ捏造と言えば、バルサルタン問題が一向に片付かない。今日もテレビのニュースで取り上げられていたようだ。先ず行うべきとことは治験のやり直しだろう。勿論、原因究明、責任追及、そして制度改革も重要な課題であり、対応は必須である。しかし、現在市場に出回っている薬剤の効果について疑念が生じたのであるから、効果の再評価は直ちに行わねばならないだろう。承認後の治験であるので、商品回収に至ることは無いのだが、他の薬剤に対する優位性に問題が生じたのであるから、優位性が否定されれば薬剤の選択に大きな影響が出るだろう。

今回の事件の責任がどのあたりにあるのかは明確だ。論文作成に関わった研究者たち以外に直接の責任者はいない。大学の管理者にも管理責任があろうし、論文を審査した学会にも責任はあろう。しかしそれらはあくまでも間接的な責任である。今ここでノバルティス社元社員の関与の度合いや、論文筆頭執筆者の責任の割合などを議論していても始まらない。そのような責任の所在の追求に向けるエネルギーの一部でも良いから、医学的事実の究明に向けてほしい。

日経ヘルスケアに連載されている『はりきり院長夫人の七転び八起き』という匿名のコラムがある。著者は開業17年目の無床診療所で院長の夫を支えている女性とのことだ。2013年9月号は「休日当番日の招かれざる患者たち」だった。開業医の休日当番の事情について知る機会が少ないので興味深かった。

一番驚いたのは、休日診療で一般の患者を診察すると監督官庁から指導されると言うことだ。
実は開業当初、当番日に緊急性のない患者が来院した際に、「せっかく来てくださったのだから」と診療していたら、厚生局の保険指導で「こんな患者をなぜ休日に診るのか」と厳しく指摘されたことがある。

確かに休日に診療すると休日加算で点数(診察代)が高くなるから、支払い側としては「救急患者以外は診るな」と言うのだろう。しかし、実際には患者が来てしまい、診てほしいと粘られることもある。そんなときに診療を断ると、薄情だ、面倒がっていると思われる可能性が高い。場合によっては違法だと責められる。

ある休日、著者の医院に80歳代の女性から電話があり、「ここ1カ月くらい具合が良くないので、近くの診療所を受診したら、『○○が専門の先生のところで検査してもらいなさい』と言われた。すぐにそちらで診察を受けたい」とのこと。緊急性が無いと判断し、平日の受診を頼んだが「近所の先生から『すぐ行け』と言われた」の一点張り。昨日、近医の帰りに著者の診療所に寄ったが、既に閉まっていた。本日開けているなら診るべきだと主張する。
そこで、「休日のため診療費も高くなりますよ」と"切り札"を出したが、「私は後期高齢者で自己負担が少ないから、料金が高くなるのは構わない」と一歩も引かない。院長も「そこまで言うのなら、もうどうしようもない」とのことで、受診してもらうことにした。

診察したところ、やはり急を要する状態ではない。おまけに、本人の話が長くて止まらない上に、言葉の端々に「とげ」がある。軽症という診立てに対する反感があったようだ。その間、ほかの患者を待たせることになり、大いに迷惑であったとのことだ。

このようなことでは休日診療を引き受ける診療所が少なくなってしまう恐れがある。実際、私が住んでいる市では、医師会に加入しない開業医が増えている。理由は様々だが、簡単に言えば医師会に求心力が無くなったことと、医師会に入会することで生じる負担が嫌われているということだ。以前なら厚労省(厚生省)からの情報は医師会経由で通達されたため、医師会に入会していないと情報の入手が遅くなった。また、患者のいない新規開業医にとっては、医師会から割り当てられる学校検診も貴重な患者供給源だっただろう。しかし、医師会の諸係の仕事の負担が大きい(勿論ボランティアである)こと、割り振られる休日診療の負担が大きい(出勤させる看護師などの人件費などは持ち出しである)ことなどで、医師会への入会を控えているようだ。さらに、昨今の開業は市場調査をきちんとした上で立地などを決定しているので、学校検診に依存する医師はいないだろう。そうなると、何百人もを短時間で診察しなければならない学校検診も苦役でしかない。
休日診療では、「急いで受診したので持ち合わせがない」などと言って診療費を払わず、そのまま未収金となってしまうことも結構ある。健康保険組合などの保険者が、不要不急の休日受診を控えるよう、もっと"患者教育"をしてくれるとありがたいのだけれど......。

と著者は言うが、保険者に期待するには無理がある。社会全体が節度を弁えた自制的自律的な状態にならなければならない。そのために必要なのは社会全体に対する教育だろう。その教育は教え込んだり指導したりする教育ではなく、現状を知り、事実を直視するための情報提供であろう。明日は勤務先施設が主催する「市民講座」があり、私が担当する。情報提供の一助になればと思って話をするつもりだ。

医療ガバナンス学会のメールマガジン「MRIC」のVol.229(2013年9月26日配信)は勝俣範之『ピンクリボンキャンペーンに思う』だった(http://medg.jp/mt/2013/09/vol229-1.html)。勝俣は日本医科大学武蔵小杉病院腫瘍内科の医師である。

ピンクリボンは、乳癌の正しい知識を広め、乳癌検診の早期受診を推進することなどを目的として行われている世界規模の啓発キャンペーンである。彼は癌を専門とする腫瘍内科医としてピンクリボンキャンペーンに疑義を呈する。
今年もまたピンクリボンキャンペーンの月が近づきました。私は最近ピンクリボンキャンペーンが始まるとちょっと憂鬱になります。日本のピンクリボンキャンペーンのほとんどが、「早期発見早期治療」しか言わないからです。おまけに、「がんは、早期発見早期治療で治る」「検診していれば大丈夫」「生活習慣で予防できる」などと続きます。

彼は「検診さえやっておけばよい」というメッセージは誤っていると指摘する。その根拠とするのは、乳癌のマンモグラフィー検診で科学的に有効性が示されている対象年齢が50歳~74歳と限られていること、2012年11月のNew England Journal of Medicineに、マンモグラフィー検診で進行癌は減っておらず、早期乳癌ばかり増える傾向があり、過剰診断が疑われるとの報告があった(http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1206809)ことだ。

検診があまりに強調されると、検診せずに癌になった患者は「検診しなかった私が悪い」と自責的になり、周囲も「検診しなかったから悪い」とレッテルを貼るようになると勝俣は懸念する。勝俣は検診の重要性を否定してはいないが、企業がイメージアップのために続々とキャンペーンに協賛するようになり、キャンペーンの規模が年々拡大しているのに反して、検診を受ける人数があまり伸びていない現状(2006年から2010年までに、13.41%から22.86%と増えてはいるが、目標とする50%以上までにはほど遠い)について改革の必要を訴える。
がん検診受診者を増やす方策は、海外でも色々取り組まれていますが、最も効果的な方法は、検診台帳をつくり、受診しなかった方へ、再受診を促す「コール・リコール法」が最も効果的とされています。米国CDC(アメリカ疾病予防管理センター)によると、28の研究がそれを証明していると言います。受診者に対するメリット(検診クーポン券などの発行)や、マスメディアによる啓蒙活動は、検診数を増やすというエビデンスは不十分と指摘しています。

ではなぜ日本でコール・リコール法が採用されていないのか。
実際のところ、コール・リコール法を日本で実行できていない要因としては、検診を市区町村にまかせてしまっているため、担当者が理解していないことが一つ要因としてあげられます。また、検診には、精度管理が必要となってきますので、コール・リコール法をやり、受診率が向上すると、精度管理をする人件費などさらなる費用がかかるため、市区町村では、そこまでやる気がないといったとろが本音のようです。

MMJ(毎日メディカルジャーナル、毎日新聞社の季刊医学雑誌)2013年9月号に海外文献の紹介として、BMJ(英国医学雑誌)の「疾病の権患と死亡の減少を目的とした成人に対する一般健康診断:Cochrane系統的レビューとメタアナリシス」という論文を取り上げていた。16件の研究についてメタアナリシスを行ったところ「一般健康診断により新規診断は増加したが、 疾病罹患や全死亡だけでなく心血管死とがん死も減少しなかった」との結果だった。

検診はただ行えば利益が得られるという単純なものではない。対象と目的を定めて、科学的根拠をもって行わねばならない。論文について、国立がん予防・検診研究センターの津金昌一郎がコメントしているが、検診にも不利益がある。
健康診断の不利益は見過ごされやすいが、健診自体の煩わしさや要する時間・費用、偽陽性による精密検査や経過観察、偽陰性による安心がもたらす診断の遅延、検査・治療による有害事象や心理的・経済的負担、保険加入への障害、効果のない生活習慣改善を強要され人生の楽しみを奪われることなどが挙げられる。最も深刻で重要な不利益は過剰診断と過剰治療であり、がん検診ではその人の余命を脅かすことがなかったであろうがんを診断・治療することの是非が問題になっている。

ピンクリボンキャンペーンでも過剰診断が行われているとしたら、検診自体に対する不信を招きかねない。これだけ協賛企業が付けば、研究資金は捻出できるだろうから、しっかりした調査と検証をしてほしい。安易なキャンペーンは慎むべきだ。

アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ『話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く』(主婦の友社)を読了した。邦訳の単行本が2000年に出版され、ベストセラーになったので原著が増補改訂され、その増補改訂版を翻訳したのが文庫版だという。文庫版の出版は2002年であるので10年以上前の本だが、続編(既にこのブログで取り上げた)が出版されたこともあり、現在もよく売れているようだ。

面白い本であることは間違いない。10年前の本とは言え、内容的には古くない。100万年前からの人類の姿を書いているのだし、社会状況も10年でそう大きくは変わっていないのだから、古くならないのは当然だろう。本書の目的は、男と女が、生物としていかに異なっているかを理解させ、理解することで対処しやすくするという筋道を提供することである。ところどころにジョークが挿入され、本文にもドラマ仕立ての挿話が多く、思わず笑ってしまう。

しかし、最終章である第11章「新しい未来へ」は、それまでの章とはいささか趣を異にした、著者等のメッセージが主体の章である。彼らの主張を要約すれば、以下のようになる。
男女の違いは100万年かかって進化により獲得・形成されたものであるから、簡単に変えることはできない。また我々の思考や行動は、性別の影響を強く受け、それを排除することはできない。そうであるならば、性による違いを知り、自分あるいは異性の考えや行動がどのように性の影響を受けているかを理解することで、より良い人間関係が構築できるはずだ。社会も、両性の違いを前提として制度設計する方が良い。[引用者の要約]

何を好ましいと考えるか、何を嫌うかは、進化の過程で脳に配線として組み込まれている部分が多い。人の生き方や考え方は、理念だけで変えられるものではない。イギリスとオーストラリア(著者等はオーストラリア人だ)でのアンケート調査の結果に基づいて、彼らはこう述べる。
回答者の八割は、昔ながらのやりかたで子どもを育てることがいちばん大事だと考えていた。つまりいくらメディアが騒ぎたて、フェミニストががんばっても、女たちの生きる姿勢はさほど変化していないということだ。現代女性といっても、その価値観は基本的に何世紀も前から変わっていないのである。大きく異なるのは、93パーセントの女性が経済的自立を重視していること、62パーセントが政治に力を発揮したいと考えていることだ―つまり男に頼りたくないということだろう。(331ページ)

職業選択についても、男性は空間能力を活かせる運転手などの仕事や理科系の仕事に就くことが多い。そのような職業に就く女性が少ないのは、排除されているからではなく、女性の方が好まないからだ。男だけの階層構造でできあがった組織で女性が出世するのは困難だ。しかし、男性的な価値観が組織の上部で先行すると、必ず権力闘争が始まるので、万事を丸く収め、ものごとを調和を図りながら効率よく進めるには女性的な価値体系の方が良いだろうと著者等は言う。

男の子の育て方についても、著者等は、男の子が活動的で暴力的であるのは男性としての本質で、脳に組み込まれているものだと指摘する。その上で、現代の男の子に必要なのはロールモデルだと言う。暴力的なものが否定されている現代社会では、一昔前のヒーローはロールモデルにはならない。スポーツ界のヒーローもかつては男性のロールモデルになり得たが、1980年代からスポーツが商業化して多額の金が動くようになったため、スポーツの場での人格形成は望めなくなった。
熱狂的なスポーツファンの多い国では、プレーヤーたちが好ましからぬ役割モデルになっている。無名選手が一夜明けると神さまのように崇められる風潮は、感受性の強い若者たちに、底の浅い浮ついたメッセージばかり刷りこんでいる。(338ページ)

彼らの立場は、このブログの立場とも一致している。人が肉体から独立した思考を持つことは非常に困難である。自分の思考の妥当性を考える際には、自分の肉体の影響について、慎重に考慮しなければならない。逆に、どのような精緻な理論であっても、肉体から遊離した理論は採用されることは困難である。

一昨日、昨日に続き、ジェローム・グループマン、パメラ・ハーツバンド『決められない患者たち』(医学書院)を取り上げたい。著者等は医師で、本書は患者による治療方針の決定がいかに難しい作業であるかを実例とともに示した本だ。本書はどこを読んでも面白かったが、3章のガイドラインの話は示唆に富み、考えさせられることが多かった。

3章は「でも、それは私にとってベストなのだろうか?」という題で、個々人に最適な治療法の選択がいかに難しい課題であるかが取り上げられている。登場人物の一人、パトリックの言葉を借りれば「病気に関して、誰にでもぴったりの『フリーサイズ』なんてのはありえないと思うんです」(69ページ)ということだ。
様々な疾患において、どういう患者を治療の対象にすべきかについての見解は、専門家の間でも異なることがあると患者は知っておくべきだろう。例えば、どんな場合に高血圧の治療をするかに関して、ヨーロッパと米国の専門家委員会はそれぞれ異なったガイドラインを策定している。(83ページ)

なぜ異なるかと言えば、人種差、文化の違いなどの要素もあるだろうが、どの研究結果を取捨し、連続した数値のどこに線を引くかというところに主観が入るからだ。
ミシガン大学のロドニー・ヘイワード博士は広く尊敬を集めるヘルスケアの研究者だが、彼は最近のニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンにこう書いている。
「利益が有害事象のリスクを正当化するほど大きなものかどうかの評価、すなわちどこに医療介入の閾値が存在するかの決定は、必然的に価値判断問題となる」
なぜそれは明快で白黒はっきりした答えではなく、主観的な価値判断なのだろう? なぜならば、とヘイワードは続ける。多くの治療に関して、かなりの「はっきり確定できない、純益のグレーゾーン」が存在するからである。[中略]私たちは、かなり幅のある不確定の純益のグレーゾーン内ならば、「治療介入をするかしないかの決定において、医師は患者そのひとの意向を優先すべきである」というヘイワードの意見に強く同意する。(84ページから85ページ)

ガイドラインを策定する人々が目指すものは「最良の治療」だろう。ガイドラインの信奉者も多い。米国ではガイドラインに準拠しない治療には保険が支払われないこともある。だが、「ガイドラインは厳密に『科学的』というわけではないことを認識することも重要だ。ガイドラインにはバイアスや主観的判断も内包されている。(85ページ)」ガイドラインが絶対的なものでない証拠に、1年以内に14%が、2年以内に23%が、5年後には約半分が変更されている(86ページ)。さらに、ガイドラインは多数の患者の平均値を基に作成されており、特定の個人に必ずしもあてはまるとは限らない。

現在の医療は、標準化に重きを置き、ガイドラインやクリニカルパスの利用を強く推進している。治療可能な疾患であれば、疾患が治りさえすれば、患者は多少の不愉快には目をつぶるかも知れない。しかし、進行癌などの治らない病気の場合、流れ作業で治療が行われても、治療を受けたという恩恵を感じることは困難だろう。
患者一人一人へより注意を向けること、病状の重い患者と共有する時間を増やすことの必要性は、「効率性」を偏重する現代の医療システムと相反する。要職にある保健政策立案者はもちろん、医師の中にすら病院を工場のようなものと見なし、医療は製造業方式で提供されるべきだと主張する者がいる。実際、患者と接触する時間は数分までに削られてしまった。交わす会話は、標準化されたプロトコールと医療品質評価にのっとったものであることが要求される。しかし、命が脅かされている状態の最中にどんな治療をどれだけ行うかの決断をすることは簡単ではなく、またしばしば状況で変化しうるものである。それは、決して工場の組み立てラインから「効率的に」生産される「製品」とはなりえないのだ。(229ページ)

このことを肝に銘じておきたい。

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