今日は私の勤務先が属する診療圏の「地域救急会議」に出席した。東京都には「東京ルール」という制度がある。これは、救急車が患者を搬送しようと病院を探して5回断られた場合に、6回目には当番病院に連絡するとその病院が引き受けるか、あるいは引受先を探すと言う協定だ。
救急診療には、軽症で町の診療所でも対応できる1次救急、高度な救命措置を必要とする重症の3次救急、そして、両者の間の2次救急がある。「東京ルール」は2次救急患者を対象とした制度で、東京都福祉保健局が音頭をとって2009年8月から導入された(http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/kyuukyuu/tokyorule.html)。この制度の目的は、当然のことながら受け入れ先の決まらない救急患者をなくすことだ。
一時、マスコミに患者の「たらい回し」や「受け入れ拒否」という言葉が盛んに登場した。行政側はそのような事態が無くなるようにと、このような制度を実施したのだろう。ただし、問題は多い。そもそも「たらい回し」などと攻撃的な名称で呼ばれるが、救急患者の受け入れ先が決まらないのは、各医療機関に事情があるからだ。「受け入れ拒否」をしているのではなく、受け入れれらない、もしくは受け入れ困難なのだ。そこを強引に受け入れさせるのが東京ルールであるから、現場の不満は強い。
受け入れられない理由にはどんなものがあるのだろうか。ひとつは対応する診療科の医師がいないと言う場合だ。様々な診療科がある病院では全科の医師が当直している訳にはいかない。そこで、たとえば整形外科の医師がいない場合、骨折の患者は受けられない。この背景には、裁判で当直医が敗訴した事例の存在がある。当直医が自分の専門外の患者について見落としをし、訴えられて敗訴したのだ。訴えられる危険があるなら、誰も自分の専門外の患者を診ようとは思わない。
医師が手術中、あるいは別の重症患者の対応中の場合もある。そんな場合「運んでおいて待たせておくことはできないのか」ということを言う人もいるが、手術はいつ終わるか分からず、待たせている間に急変したら病院の責任である。「廊下の片隅でもいいからおいてほしい」という人もいるが、酸素も吸引も無い廊下で急変されたら十分な処置は不可能だ。災害時ならともかく、平時ではあり得ない。
患者に問題がある場合も多い。病院で暴れた前歴があったり、飲酒しての受診や、無断離院を繰り返すなど、問題行動を繰り返している患者の場合は、名前を聞いただけで搬送を断る場合もある。他の患者の迷惑になったり、医師や看護師の手を不要に煩わせて医療資源を浪費することにもなるので、搬送を拒絶しても人道問題にはならない。診療はお互いの信頼関係に基づいてなされるので、信頼関係が構築できない場合は、診療を断っても医師法に言う「診療拒否」には当たらない。
自殺企図の薬物中毒患者や自傷患者の場合、元気になると院内で自殺を図る場合があり、精神科の医師が常駐していない病院では、入院しての診療は困難だ。アルコール依存症のある患者も同様である。
これらの理由は一例に過ぎない。理由があって患者を受け入れられない病院に「東京ルール」だからと、患者を無理やり受けさせると、現場は混乱し疲弊する。救急にきちんと対応するには、病院に余裕を持たせなければならない。皮肉な言い方をすれば、暇にしておけば救急を受けない訳にはいかない。110番や119番に電話をすれば、たいていの場合すぐに対応してくれる。これは待機している職員がいるからだ。病院でも、待機している職員をおけるなら、救急患者をいつでも受けられる。しかし、現在のように、職員が常に100%の力を発揮して仕事をしないと採算が取れない医療制度では、職員を待機させておく(=遊ばせておく)など望むべくもない。
今日の会議で紛糾したのは、救急隊が3次対応と判断した患者が、本人や家族の希望(救命措置を望まない、延命措置を望まない)により3次搬送を断った場合、2次救急として「東京ルール」に乗せて良いかどうかという問題だ。癌の末期で在宅治療を受けている患者の呼吸状態が悪くなったために救急車を呼んだなどと言う場合がそれに当たる。そのような(「2.5次」などと呼ばれる)患者を引き受けた病院は、結局「看取り」をするだけになる。
「東京ルール」は救急患者を救うために設けられた制度なので「看取り」を受け入れるのは筋が違うと言う議論と、実際にそのような事例があり、普段かかりつけの患者では搬送しての看取りをしているのだから、いつもしていることと変わらない(だから受け入れよう)という議論が出た。
結局は継続審議となり、受け入れていない現状を継続することになった。3次搬送を拒否するような患者の場合、本来の対応としては、救急車を呼ばないように啓蒙活動し、看取りの受け皿を整備するべきだろう。
2025年問題(団塊の世代が後期高齢者になり、医療が破綻すると危惧されている問題)は、地方都市で起こる問題ではなく、東京都、中でも多摩地区で起こる問題である。「東京ルール」のような無理矢理な対策ではなく、抜本的な対策が必要だ。しかし、その対策の成果が出るまでは、無理を承知で引き受けざるを得ないのが辛いところだ。
救急診療には、軽症で町の診療所でも対応できる1次救急、高度な救命措置を必要とする重症の3次救急、そして、両者の間の2次救急がある。「東京ルール」は2次救急患者を対象とした制度で、東京都福祉保健局が音頭をとって2009年8月から導入された(http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/kyuukyuu/tokyorule.html)。この制度の目的は、当然のことながら受け入れ先の決まらない救急患者をなくすことだ。
一時、マスコミに患者の「たらい回し」や「受け入れ拒否」という言葉が盛んに登場した。行政側はそのような事態が無くなるようにと、このような制度を実施したのだろう。ただし、問題は多い。そもそも「たらい回し」などと攻撃的な名称で呼ばれるが、救急患者の受け入れ先が決まらないのは、各医療機関に事情があるからだ。「受け入れ拒否」をしているのではなく、受け入れれらない、もしくは受け入れ困難なのだ。そこを強引に受け入れさせるのが東京ルールであるから、現場の不満は強い。
受け入れられない理由にはどんなものがあるのだろうか。ひとつは対応する診療科の医師がいないと言う場合だ。様々な診療科がある病院では全科の医師が当直している訳にはいかない。そこで、たとえば整形外科の医師がいない場合、骨折の患者は受けられない。この背景には、裁判で当直医が敗訴した事例の存在がある。当直医が自分の専門外の患者について見落としをし、訴えられて敗訴したのだ。訴えられる危険があるなら、誰も自分の専門外の患者を診ようとは思わない。
医師が手術中、あるいは別の重症患者の対応中の場合もある。そんな場合「運んでおいて待たせておくことはできないのか」ということを言う人もいるが、手術はいつ終わるか分からず、待たせている間に急変したら病院の責任である。「廊下の片隅でもいいからおいてほしい」という人もいるが、酸素も吸引も無い廊下で急変されたら十分な処置は不可能だ。災害時ならともかく、平時ではあり得ない。
患者に問題がある場合も多い。病院で暴れた前歴があったり、飲酒しての受診や、無断離院を繰り返すなど、問題行動を繰り返している患者の場合は、名前を聞いただけで搬送を断る場合もある。他の患者の迷惑になったり、医師や看護師の手を不要に煩わせて医療資源を浪費することにもなるので、搬送を拒絶しても人道問題にはならない。診療はお互いの信頼関係に基づいてなされるので、信頼関係が構築できない場合は、診療を断っても医師法に言う「診療拒否」には当たらない。
自殺企図の薬物中毒患者や自傷患者の場合、元気になると院内で自殺を図る場合があり、精神科の医師が常駐していない病院では、入院しての診療は困難だ。アルコール依存症のある患者も同様である。
これらの理由は一例に過ぎない。理由があって患者を受け入れられない病院に「東京ルール」だからと、患者を無理やり受けさせると、現場は混乱し疲弊する。救急にきちんと対応するには、病院に余裕を持たせなければならない。皮肉な言い方をすれば、暇にしておけば救急を受けない訳にはいかない。110番や119番に電話をすれば、たいていの場合すぐに対応してくれる。これは待機している職員がいるからだ。病院でも、待機している職員をおけるなら、救急患者をいつでも受けられる。しかし、現在のように、職員が常に100%の力を発揮して仕事をしないと採算が取れない医療制度では、職員を待機させておく(=遊ばせておく)など望むべくもない。
今日の会議で紛糾したのは、救急隊が3次対応と判断した患者が、本人や家族の希望(救命措置を望まない、延命措置を望まない)により3次搬送を断った場合、2次救急として「東京ルール」に乗せて良いかどうかという問題だ。癌の末期で在宅治療を受けている患者の呼吸状態が悪くなったために救急車を呼んだなどと言う場合がそれに当たる。そのような(「2.5次」などと呼ばれる)患者を引き受けた病院は、結局「看取り」をするだけになる。
「東京ルール」は救急患者を救うために設けられた制度なので「看取り」を受け入れるのは筋が違うと言う議論と、実際にそのような事例があり、普段かかりつけの患者では搬送しての看取りをしているのだから、いつもしていることと変わらない(だから受け入れよう)という議論が出た。
結局は継続審議となり、受け入れていない現状を継続することになった。3次搬送を拒否するような患者の場合、本来の対応としては、救急車を呼ばないように啓蒙活動し、看取りの受け皿を整備するべきだろう。
2025年問題(団塊の世代が後期高齢者になり、医療が破綻すると危惧されている問題)は、地方都市で起こる問題ではなく、東京都、中でも多摩地区で起こる問題である。「東京ルール」のような無理矢理な対策ではなく、抜本的な対策が必要だ。しかし、その対策の成果が出るまでは、無理を承知で引き受けざるを得ないのが辛いところだ。