橳島は、科学と技術開発を区別して論じている。科学(研究)とは純粋に知的興味に基づいておこなわれる活動であるのに対し、技術開発は実用化を目指しておこなわれる活動である。
もちろん、その両者は実際には連続していることがあるかもしれないし、同じ人が科学研究者と技術開発者の両方の役割を果たすことがあるかもしれない。だが職業倫理上は、研究倫理と技術倫理は分けるべきである。研究倫理は科学的必要性と妥当性という科学内部の基準に従う。それに対し技術倫理には、先に医学について述べた、安全性と有効性の保障に加えて、開発行為が生体や環境に及ぼすリスクの適正な管理と、開発利用目的の妥当性(軍事転用の是非、テロ目的での使用の防止など)を問う責任も求められる。(37ページ)
著者が例にあげるのは、核物理学研究と核兵器開発の関係、鳥インフルエンザ研究の公開である。いずれも、いわゆる「正解のない問題」であることは勿論であるが、橳島は彼なりの考え方を示している。核物理学研究については別に述べることとし、鳥インフルエンザ研究について整理しておきたい。
2011年、米国国立保健研究所(NIH)生物安全性科学諮問委員会は、2つの研究グループから専門誌に投稿されていた鳥インフルエンザの研究論文について、詳細なデータを削除する形での刊行を求めた。(38ページ)
問題の論文は、H5N1鳥インフルエンザウイルスに変異遺伝子を組み込んだところ、人から人への感染を起こさせる力を与えることができたという報告で、米国政府は生物兵器開発やテロ目的で利用される恐れが大きいと判断したのだ。世界保健機関(WHO)は国際会議を開き、公衆衛生上の観点から、問題の論文は内容をすべてそのまま刊行することが望ましいとの結論を出し、それを受けて米国の諮問委員会も再検討をおこなった結果、差し止めの要請を撤回した。
当事者となった研究者は、自分たちの研究が大きなリスクを伴うことを認識したうえで、それでもその成果をフルに共有することに科学的必要性と妥当性があることをていねいに社会に説明し、理解を求めることで、研究倫理の筋を通そうとしたと評価していいのではないだろうか。(39ページ)
私は、ここで大切なのは研究者を含めた社会全体による監視の継続であると思う。このような情報は公開後の利用状況の追跡が重要だ。兵器開発に利用されていないか、テロ目的での利用はないか、研究コミュニティが全体として監視していく必要がある。公開された技術は科学に縁のない人が扱えるような技術ではない。設備も相当規模のものが必要となる。研究者たちが連帯して監視すれば、その監視の網を逃れるのは難しいはずだ。研究結果の公表後にも責任を負い続けることで、科学者としての責任を果たしていることになるのではないか。