岸本は患者からの信頼を重視している。信頼を得ているので手術の同意書を取らなかったという(現在は病院の方針に従って取っているとのことだ)。そのかわり、処置や手術を見せているそうだ。手術について、術野カメラの映像をテレビに映して見せる病院や、窓越しの見学を許す病院はあっても、家族を手術室に入れる病院は聞いたことがなかった。非常に良い試みだと思う。
導入当初は異常な緊張感に包まれてピリピリした雰囲気だったこともあり、いつもやっているような手術でも1件終わっただけで全身汗びっしょりになりました。手術中はいろいろなことが起こる可能性があり、それらをすべて包み隠さずお見せする(実際には隠したくても隠せないのだけれど……)。そんなふうに家族がそばで見学(監視?)している状況というのは、自分が考えたことだとはいえ、予想以上にしんどいものでした。精神的な「自分の弱さ」を実感したなあ。(77ページ)
手術への家族立会いは、岸本が真摯に手術に取り組んでいるから、さらに、自分の手技に相当の自信を持っているからできることなのだろう。

実は同様のことが局所麻酔の手術にもある。局所麻酔手術では患者の意識があるので、患者を安心させるため、世間話をしながらするほどの余裕がなければならない。患者は、たとえ顔を布で覆われて術者や術野が見えなくても、手術が順調に進んでいるかどうかを気配で察するものだ。局所麻酔で手術するには、不測の事態にも狼狽することなく対処できるという自信が必要で、さらに緊張の中でも患者に余裕をもって接することができるという胆力が必要である。最近は局所麻酔手術が減少傾向にあり、患者に気配りをしつつ手術をするという「芸」を学ぶ機会が減少している。

外科医には自分の家族の手術をしたがらないものが多い。医師によっては友人の手術もしない。万が一の事態が起こったときのことを考えるからだ。不測の事態が起こったときに冷静な対処ができるだろうか、後遺症が残るようなことになったときに責任をどうとるのだろう、などと考える。医療に百パーセントはないから、どんなに簡単な手術であっても、不測の事態が起こる可能性はあるし、術後に残る症状はある程度の時間が経過しないとわからない。

親しい友人や家族の手術は、手術に自信がないとできない。もちろん、周囲を見回して、その手術をいちばんうまくできるのが自分であれば、自信の有無にかかわらずせざるをえない場合もあるだろうが。岸本はおそらく我が子の手術でも躊躇なくやり遂げるだろう。