医療者は患者のために仕事をしなければならない。岸本は、患者のためになること以外は「余事」であるとし、また人間学を学ぶことが肝要であると説く。人間学の具体的中身に関する言及はないが、人間性や人格を磨く努力を指すらしい。

私も彼に同感であるし、ある面では同じように実践してきた。しかし、彼ほど情熱を持って周囲に働きかけてきたかと言えば、そうではなかった。私の周囲には志の低い医療者もいたが、その人たちにはその人たちなりの人生があると考え、また、その人たちに何らかの生き方を勧めた場合、彼らがその道を選択したために失敗したとしても、その責任を私が取ることはできないと考え、いわば「口を出すのを遠慮した」のだ。他人が私と同じように動いたり考えたりすることはありえないという諦観もある。

この本を読んで考えたのは、相手に何を言っても、何を勧めても、従うかどうかは相手の本人次第なのだから、別にそこまで気を遣わずとも良かったのではないかということだ。もっと自由に考えても良かったかもしれない。私の考えが自由でなかったのは、岸本がひとりで科を運営しているのに対し、私はかならず複数の医師がいる科を運営してきたからかもしれない。どうしても周囲に気を遣ってしまうのだ。また、青年期に友人のためを思ってしたことが良くない結果を産んだことも影響しているかもしれない。

私の周囲にも質の低い医療者がいることは間違いない。場所によってその割合は異なるもので、質の悪い医療者が多い地区や多い施設がある一方、そのような者が稀である施設もある。しかし、私には「福島県の皮膚科医の質が低い」といった具体的な言葉を使って発信しようという気持ちは無い。そのようなことを発信することで生じると予想される混乱を望まないからだ。だが、福島県なら私の気持ちも違ったかもしれない。福島県の皮膚科医は非常に少ない。さらに現役の皮膚科医には高齢者が多く、皮膚科医がほとんどいなくなってしまう可能性も高いようだ。そのような状況であれば、どんなことを発信しようが(内容が事実でありさえすれば)混乱は大したことがないのかもしれない。