小松は主に内科研修制度を批判している。医師は医師免許取得後、2年間の初期研修を受けなければならず、内科専門医となるためには、さらに3年間の研修が義務付けられる。循環器、消化器など「サブスペシャルティ」と呼ばれる内科系専門分野に進むのはこの後になる。

内科専門医になるためには、経験症例のサマリーを提出し、筆記試験などをクリアしなければならない。私は制度の詳細を知らないが、小松は「70もの中分野を全て経験し、13領域全てに亘る29症例のレポートと主治医として担当した200症例の記録を提出」することが求められており、「いじめに近い」と言う。「経験すべき疾患には、発症率10万人当たり1.15という稀な疾患まで含まれていた」とのことだ。

さらに、「循環器内科で不整脈のアブレーション治療をする医師に、膨大な内科の全領域の診療能力は不要である」と彼は言う。循環器内科でアブレーションを専門としながら、内科全般の診療能力を維持できるはずがないと指摘する。それは事実だと思う。

結局、循環器専門医になるために内科専門医を取らなければならないというのは、循環器専門医になれなかった場合の保険のようなものなのだろう。しかし、単なる保険のための負担が 大きすぎると小松は指摘しているのだろう。

また、専攻医が教育体制に長期間従属することも彼は問題視している。社会システムはめったに期待通りには機能しないので、教育する側に問題があることを想定しておく必要があるとの主張だ。
筆者は、苦境に陥った医療関係者や医療過疎に悩む自治体関係者から相談を受けることがある。ある病院で、後期研修医とその上司の関係が険悪になった。研修医が病院の上層部に相談したところ、パワハラ委員会に訴えるよう勧められた。これに従ったところ、パワハラ委員会は、研修医に問題があるという前提で固められていた。病院は何が起こったかに興味を示すことなく、研修医を切るという最も安易な方法で処理しようとした。筆者は詳細な事実関係を知る立場にはないが、研修中の医師と指導医や病院の間で対立関係が生じたとき、正当な扱いを受けるのは不可能だと確信する。

研修医の方が弱い立場になるのは確実だろう。病院としては、研修医を切るのは簡単だが、診療科の中堅やトップを切るのは並大抵のことではない。