昔の日本人は貧乏だったという。宮本は「その貧しさの中に、人々は精いっぱい生きてきた。そしてあらゆる工夫もしてきた。と同時に、貧をそれほど苦にもしなかった。つまり、はたからみるほど暗い気持ちはなかった(5ページ「はじめに」)」としているが、一方で、以下のような話も紹介している。
もう十五、六年もまえのことであるが、高知県の山中で一人の老婆から、その人の若いときの話をきいたことがある。イロリの火のもえるそばで、老婆の話をきいていて、しばしばノートの手がとまって、胸がつまる思いをしたのである。その老婆は子をまびいた話をしてくれた。長男はあるのにつぎつぎに子供が生まれる。今日のように避妊の方法もないから、つい妊娠してしまう。なけなしの財産の中で多くの子供をかかえてはやっていけないし、子供たちが苦労をするので、やむなく生まれでる子を処分したのである。「子供たちはみんなこの床の下にうずめてあります。私はその上に毎晩ねています。私は極楽へいこうとは思いません。地獄でたくさんです。あの世でどんな苦労をしてもいい。はやく死んだ子供たちと一緒に賽の河原で石をつもうと思います」としみじみはなしてくれた。(60ページ)

凄まじい話である。これは絶対的貧困の話であり、日本全国が似たような状態であった。だから相対的には貧困と言えない。格差が少ないのである。現代の日本で問題となっているのは格差であり、相対的貧困である。そこを間違えてはいけない。

この老婆が育てた子どもたちは、間引かれ、死んでいった子どもたちの犠牲の上に成り立っている。日本の農村全体が、あるいは社会全体が、そのように経済的限界を守るために処分された人びとの犠牲の上に成り立っていた。私たちが動物の肉を食べて命をつないでいるのと同様に、他の人びとの命を奪うことによって自分の命をつないできたのだ。

だが、考えてみれば現在の社会も、多くの犠牲の上に成り立っている。年金の給付は、小児への手当の削減の上に成り立っている。若年貧困者への給付を抑えて高齢者への給付がなされているとも言えるのだ。