諌山創『進撃の巨人』(講談社)の第1巻から第12巻を読んだ。作者の諌山に興味を持ったからだ。たまたま見たBBCニュース・ジャパンに諫山への単独インタビュー「拒絶され諦めそうに」が2015年10月19日付けで掲載されていた(http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34559269)。そこで見た諌山の姿が印象的だったのだ。

「絵が下手だ」と何社も断られ、諦めそうになったところで講談社から声をかけられたという。講談社の担当者は絵の下手さを補って余りある何かを見つけたのだろう。このような話の面白さは、背後にある世界と世界観の大きさによって決まる。彼の用意した世界はかなり大きく、まだまだ全貌が見えない。ただし、話はかなり暗い。インタビューで見た諌山も、何か思いつめたようなやや暗い印象だったが、彼の性格が反映したストーリーだと感じる。

ただ、結末を読むまではストーリー全体の評価はできない。先ごろ映画化された岩明均『寄生獣』は原作しか読んでいないが、結末がやや物足りなかった。先が読めてしまい、作者の「話をまとめあげよう」という意図が見えてしまう。ストーリーがユニークで、哲学的なテーマを持っていただけに、きれいに終わったのは残念だった。なお映画の出来については否定的な意見もあるようだが、観ていないのでコメントできない。予告編を観ただけで観る必要がないと感じたのだ。

諌山の絵は確かに上手くはない。だが、どんどん上達しているように思う。私が彼の絵に慣れたのかもしれないとも思うが、10巻あたりではキャラクタの描き分け、表情の描き分け、動きの描写などがずっと進歩しているように感じられる。ただ、具体的な指摘をする能力は、私にはない。

漫画家がストーリーだけでなく絵も描かねばならないというのは、非常にハードルの高い仕事だと思う。いくら面白いストーリーを思いついても、絵が描けなければ漫画家にはなれない。もちろんそれを文章にしようとしても、訓練を受けていない素人では、読むに耐える文章が書けないのが普通だ。しかし文と絵ではハードルの高さが違う。

シンガーソングライターについても同じように感じる。槇原敬之にしろユーミンにしろ、詩作の才能と作曲の才能の両者を兼ね備えているからデビューできた。歌唱能力も必要だった。最近では外見も求められる。昔、メディアが単純だった時代に比べて、現代は世に出るための条件が非常に複雑になっている。外見、態度、行状も、程度の差こそあれ社会に受け入れられる条件に含まれるようになった。たとえば石川啄木が現在に生きていた場合、彼の行状が週刊誌などで叩かれ、文学の世界から葬り去られていたのではないかとさえ思える。