少し日が開いたが、川渕孝一『日本の医療が危ない』(ちくま新書)について再び書きたい。

川渕は医師ではないが、医療について精通している。個別の疾患に関する記述を見ると「おや?」と思うことがないではないが、一般の人に対してはこれくらいの説明で良いだろうと思える程度のものだ。

もし彼にその点を指摘したなら「あ、そうですか? ○○(と英語の教科書を挙げ)という本を参考にしたんですが、間違ってますか? 人種差ですか? それとも『見解の相違』ですか?」と言われそうな気がする。彼は出典を明記していないことが多いが、どの記述についても見覚えがあるものが多い。充分な調査・研究に基づいて書いていることは明らかだ。それにしても、これだけの膨大な資料を次から次と繰り出すことのできる能力は大したものだ。

本書の最後で川渕は複数の対策を提案している。ひとつは予防医療に保険給付することだ。これは確かに有効だろう。健康維持のための費用が軽減され、皆が疾病予防を気軽に行なうようになれば、医療費の総額は減少することが期待できる(この考えについては、数日後に稿を改めて述べることとする)。さらに彼は医薬品を3段階に分けることも提案している。
Aランクは医療上の有効性という点で画期的な医薬品で、いわゆる「生命にかかわる医薬品」がこれに該当する。当該医薬品は、研究開発に莫大な投資がかかることから、原則自由料金として[引用者注:薬価の設定は開発企業に任せ]製薬企業の開発意欲を高めつつ、患者の自己負担は限りなくゼロに近づける政策が望まれる。

これに対して、Bランクの医薬品については保険で面倒をみるが、公定価格[引用者注:現行の保険制度のまま]とする。患者の自己負担割合は現行通りとする。(205ページ)

Cランクの薬は保険給付の対象外か、自己負担を8~9割にするというものだ。これに加えて、彼は日本の医薬品をすべて見直すことを提案している。日本でしか承認されていない薬、日本で認められた適応症が諸外国と異なる薬が多いからだ。たしかに日本には「怪しげな薬」が多い。患者は何かというと薬を欲しがるので、そのような毒にも薬にもなりそうもない「薬」はそのようなとき処方するには重宝だとはいえ、正しい姿ではない。

川渕は、厚生労働省が副作用を恐れるあまり、諸外国より少ない用量で薬を認可する傾向があると指摘する。日本では管理者がすべての面倒を見るべきだというパターナリズムがまだまだ根強い。薬を使う限りは副作用に関してある程度の自己責任を前提とするような考え方を、国全体として持つようにならないかぎり、「不十分な用量の薬」の問題は片付かない。