佐々木健一『辞書になった男―ケンボー先生と山田先生』(文藝春秋)についてもう1回だけ書いておきたい。

見坊豪紀はもともと理科系の分野が得意で、用例採集もデータベース作りのようなつもりで臨んでいたらしい。彼は『三省堂国語辞典(第3版)』の序文に次のように書いた。
辞書は〝かがみ〟である ― これは、著者の変わらぬ信条であります。
辞書は、ことばを写す〝鏡〟であります。同時に、
辞書は、ことばを正す〝鑑(かがみ)〟であります。(『三国』三版 序文)(250ページ)

見坊は、日本語の現状を正確に映し出すためには、その基礎資料として日本語の語彙の現状を把握しなければならないと考えていた。そのために文字通りすべてを投げ打って145万例もの用例を集めたのだ。コンピュータのない時代にはカードを作るのが一番良い方法だったのだろう。見坊が現在生きていれば、インターネットの検索機能を生かした語彙調査をやっただろうし、計量言語学の方に進んでいたかもしれない。

ただし、ITの力を借りれば調査が容易になるかといえば、そうでもない。新しい単語を見つけるのは、構文解析をおこなって辞書にない単語を見つければいいので比較的容易だろうが、ある語に新しい用法が生まれた場合、それは前後関係(文脈)からしか推定できない。たとえば、「気が置けない」は「相手に対して気配りや遠慮をしなくてよい」という意味だが、これを「油断がならない」というような悪い意味で使う場合が最近では増えている。「気が置けない」をどちらの意味で使っているかは、単純な構文解析では判別できない。また、株式で使う「最高値(さいたかね)」のような語は、文字を追いかけていても「最高値(さいこうち)」と違う語だとはわからない。

一方、山田忠雄は、辞書は文明批評であると考えていた。
このことばは、見坊と金田一春彦が去った後も、生涯『新明解』の編者に名を連ねた柴田武先生が、度々山田から聞かされていた。
「もう~、何回聞いたか。もう、1回、2回じゃない。『辞書は文明批評だ』って。批評すべきものには、詳しく書き込みがしてあるんです」(245ページ)

見坊は自分と山田がそれぞれ米びつを持ったと言った(319ページ)。これは彼らが国語辞典の印税という安定した収入を得たことを言ったものだが、山田は同時に「メディア」をも得たのだ。彼には文明を、社会を批評したいという気持ちがあったのだろう。もし山田が現在生きていれば、おそらくブログを書くか、ホームページを立ち上げるかして文明批評を展開していただろう。

しかし、彼らは辞書を使って自己の心情を述べた。それが本書を読んでよくわかった。もしかしたら見坊は『新明解』を通読して山田の気持ちを読み、山田は『三国』を通読して見坊の気持ちを理解したのではないか。お互いの作った辞書を通じて、二人は相手の気持ちを少なくともある程度はわかっていたのではないかと想像する。