最終章は第15章「調査法」である。社会科学における調査法について、分類整理し、特徴や注意点を列挙している。著者の黒田浩一郎はこの本の編者の一人であり、龍谷大学社会学部教授である。

章末に本書の結びとなるような「見解」述べてある。長くなるが引用したい。
社会調査が被調査者にすぐ直接に役に立つようなものを生み出すことはまずない。そして、被調査者は、病者の場合はふつういろいろな援助を必要とし、治療者の場合はふつう病者の助けになろうと努力している。このような状況では、調査をすることにより病者や治療者に何か直接役立つことをする方が価値あることではないか、という思いにとらわれやすい。あるいは、彼らこそが真実を知っており、それに比べて社会学の戯言など無意味であり、彼らの考えていることを代弁し、人びとに伝えることの方が価値あることではないか、という思いにとらわれやすい。そして、調査者であることと、被調査者に役立つことをし、彼らの代弁者になることの両立は不可能だ、と感じやすい。

けれども、人はすべて社会学者にならなければならないわけではないし、社会学者であることが他の仕事や職業より価値があるというわけでは絶対にない。だから、このような思いにとらわれたときは、調査をいったん中断して、両立できるか否か、できないならどちらを取るか、あるいは両方とも放棄するかをゆっくり考えて決断した方がいい(反対に、こうした問題に全然悩まない調査者は、自分がやろうとしていることがはたして医療社会学の調査と呼ぶに値するものなのかどうかをあらためて考えた方がいい)。(288ページから289ページ)

とても良い言葉だと思った。皆が賛成しているときに、本当に賛成していいのだろうかと迷うこと、皆が正しいということについて、本当に正しいのだろうかと疑うこと、そのような姿勢は重要である。ある社会現象があるとき、それに巻き込まれず、外から疑いの目を持ちつつ観察する観察者、それが社会学者なのだろう。私は医療人なので、医療に絶対的な価値を置いて仕事をしている。そのような私にとって、私の仕事を外から見る人びとの意見や分析は新鮮である。

医療者も、自分がおこなっている医療行為が本当に患者のためになっているかどうか、かならず自問することが必要だろう。ただ目の前に病人がいるから治療するというのでは、かえって病人を苦しめたり、害をなしている可能性がある。「人の苦しみにつけこむ」職業であるだけに、迷い悩むという姿勢が非常に大事だと感じる。