松井栄一『日本人の知らない 日本一の国語辞典』(小学館新書)を読了した。松井は国語学者で、『日本国語大辞典』(『日国』)の編集の中心メンバーであった。本書には、その『日国』の話ばかりでなく、辞書の話、日本語の話など、関連する話が数多く掲載されている。

『日国(第2版)』は全14巻、別冊1巻の辞書で、収録語数は50万語を超え、1項目の平均字数は180文字という、とてつもない辞書だ。私はまだ手にしたことがないが、辞書好きなので、読み始めたらきっと止まらないだろう。辞書で面白いのは本文だけではない。辞書によっては興味深いコラムが掲載されているし、また、歴史や文法のまとめなどが付録として付いていて、ちょっとした教科書のようになっていることもある。

松井は、辞書作りのために明治以降の多くの資料に目を通すうち「この百年あまりの間に日本語は大きな変貌を遂げてきたことを実感しました(54ページ)」と述べている。彼が指摘した意外な事実を紹介したい。
青空:明治20年代には「アオソラ」と「アオゾラ」が併用されていた。明治末から配布が始まった国定教科書「国定読本」で青空を「青ぞら」と表記したためにアオゾラが定着したというのが松井の説である。

天国:明治30年以前の辞書は読みを「テンコク」としていた。漱石は40年代に「テンコク」と「テンゴク」を使っているが(昔の本はすべての漢字に振り仮名が付けられていることが多かった)、「テンコク」を古い読みと意識していたかもしれない。聖書では昭和10年代まで「テンコク」が使われていた。

無人島:江戸時代には「ブニントウ」と読まれ、明治時代には「ムニントウ」と読まれていた。
[江戸時代に]それを西洋人が西洋人が聞いて「ブニン」を訛って「ボーニン」とし、当時、無人島だった小笠原諸島は「ボーニンアイランド」と呼ばれるようになったということです。(61ページ)

のっぺらぼう:『明解国語辞典』が昭和27年に「のっぺらぼう」の見出しにする前は「のっぺらぽう」が主流だった。

照々坊主:明治期の辞書では「テリテリボウズ(バウズ)」が主流。

おかあさん:明治36年の国定教科書に取り入れられて広まったというのが定説だったが、江戸時代にすでに用例が見られた。近世末に上方で使われていたものが東京に入ってきて国定教科書によって広まったのだろう。

辞書作りについて、昔はいい加減な辞書もあったという話が紹介されている。
かつては評判の良い既成の辞書を数点みつくろい、その語釈や用例を参考に、学生アルバイトが少し手を加える程度――というやり方で作られた辞書もありました。このような、学生アルバイトを使い他の辞書を写させて作る安直な辞書の代名詞として「芋辞書」という言葉もあったぐらいです。(84ページ)

私が中学生の頃は、まだいい加減な英和辞典が横行していた。大きな辞書から例文を少し変えて借用している辞書では、元の例文に不具合があると、それをそのまま引き継ぐことになり「親亀こけたら」などと言われていた。その頃から私は辞書が人間の作ったものであることを自覚し、場合によっては複数の辞書を引き比べてみるようになった。しかし、辞書作りの専門家からこのように「告白」されると、また感慨深いものがある。

辞書が複数あっても、対象は共通なのだから、語釈や例文にある程度の共通性があっても仕方ない。また、良くできた辞書であれば、後発の辞書が参考にするのは当然だろう。ある程度のまねはやむをえないと松井も考えている。
ところが、三省堂のある辞書の序文で「今後の国語事象はすべて、本書の創めた形式・体裁と施策の結果を盲目的に踏襲することを、断じて拒否する。辞書発達のためにあらゆる模倣をお断りする」とあるのをみてはっとさせられました。確かに戦後の辞書の歴史はある意味では模倣の歴史であったことを考えると、そのいわれていることは誠にごもっともであり、国語辞典の正しい発達を願う編者の切なる気持ちと、模倣辞書に対する大きな怒りとがひしひしと伝わってきます。と同時に、自分の手がけた辞書に対する堂々とした自信が感じられてうらやましくも思いました。(158ページ)

辞書編集者の心意気なのだろう。松井は辞書の名前を特定していないが、誰が書いた序文なのか知りたいものだ。