勝俣範之『「抗がん剤は効かない」の罪―ミリオンセラー近藤本への科学的反論』(毎日新聞社)を読了した。すでに勝俣へのインタビューを読んで、このブログにも書いている(2014年7月13日~15日)ので彼の主張自体はよくわかっていたのだが、やはり1冊の本として読むと、いろいろ思うところが出てくる。

勝俣がこのような本を、かなりの労力を費やしても書こうと決意したのには、近藤誠の著書がベストセラーになっていることへの強い危機感がある。本書からも近藤の無責任さ、非科学性に対する憤りのようなものが伝わってくる。近藤は自らの方針を「がん放置療法」と呼んでいるらしいが、放置することが「療法」でないことは明らかである。根治可能な初期の癌の患者に「がんもどき」であるからと「放置療法」を勧め、癌が進展すれば「本物の癌でしたね。治療は無意味です」と言うのでは、ただ単に患者が治癒する機会を奪っているだけで、詐欺にも等しい非倫理的な行為だ。

勝俣が本書でも触れているとおり、近藤は多数の医学文献を読んでいるらしい。「放置療法」のみでたいしてすることが無ければ、文献を読む時間もたっぷりあるだろうと、嫌味のひとつも言いたくなるが、多数の文献をちりばめて理屈をこねられると、狭い範囲の文献しか読んでいない医師では太刀打ちができない。その点、腫瘍内科医の勝俣は癌関係の医学文献には広く目を通しており、近藤と渡り合うには適役だ。近藤の主張の誤りを、元になった文献の意味を解説しながら丁寧に論証している。臨床研究のデザイン、結果の解析から運用までよくまとまった解説がされており、いろいろと勉強になった。

ただし、残念な点もある。勝俣はあくまでも客観的な評価を前面に出し、近藤を頭から否定することはしない。だが、私の目から見ると、そのために彼の主張が弱められ、説得力を失っているように感じられる。たとえば、診療ガイドラインに関して、彼は以下のように述べている。
「診療ガイドライン」や教科書が大事だなどと言うと、「所詮、金儲けの好きな腹黒い医者たちが書いているのではないか。そんなものは信じられん」などと言われるかもしれません。また、「〝教科書的な医療〟を一方的に押しつけられたくない」と言われるかもしれません。その気持ちはよく理解できます。[中略]
確かに〝腹黒い医師〟も、一部には存在します。ランダム化比較試験といえども、捏造などを完全には排除できません。
日本では、どちらかと言えば臨床医学研究を軽視しているために、認識も甘い。(173ページ)

別の場所では海外のガイドラインの方が「日本のガイドラインよりも信頼がおけるかもしれません(165ページ)」と、日本の現状を暗に批判してるので、勝俣は日本の癌臨床のレベルには強い不満があることがわかる。たしかに、腫瘍内科医が極端に少ないこと、癌拠点病院であっても標準的な治療がおこなわれているとはかぎらないこと、大学は研究中心で臨床がおろそかにされていること、研究データ捏造事件で日本の診療研究の信頼が失墜していることなどを考え合わせると、このように言わざるをえないのかもしれない。

だがこれでは患者は何を頼り、どうすればいいのかわからない。金儲けの好きな医師は少数派であること、腹黒い医師はさらに少ないこと、捏造する医師もきわめて少数派であることなどを力説しなければならない。つまり、普通に受診した場合、そのような医師に当る可能性は少ない。しかも、金儲けの好きな医師や腹黒い医師はきっと金持ちだろうから、少し様子を観察すればわかるはずだ。現状を包み隠さないことも重要だが、そのようなことをはっきり言わなければ、この本を読んだ人は不安になるのではないかと心配する。

7月13日のブログに書いたが、近藤の本とこの本を読み比べて、この本は「希望につながる感じがしない」と述べた人がいるという。この本に書いてあることは「現実」なのだが、辛いことも多い現実から目を逸らそうという人があまりにも多い気がする。現実から目を逸らしているかぎり、ハッピーエンドは訪れない。