民主党政権の方針を安部政権が継承したからなのか、安部政権の成長戦略の中に医療がしっかりと組み込まれたからなのか、ビジネスとしての医療を語る書籍が多数出版されている。このブログでも何冊か紹介した。医療を「サービス」とする言葉遣いのせいで、医療現場はずいぶん混乱したが、「ビジネス」という言葉でも大きな混乱が見られる。以下、その混乱について、そして、医療・介護のあり方について、私見を述べたい。ただし、私は経済学に関してはまったくの素人だから、大学の授業で学んだことを思い出しながらの、直感的な議論しかできない。間違いや勘違いがあろうかと思うが、お気づきの場合はご指摘いただければ幸甚である。

人間が活動し、それに伴って金が動けば、それは産業だろうから、医療も立派な産業だろう。事実、多数の人間が医療機関やその関連会社に雇用され、多額の資金が動いている。そして、医療は「製造物」を販売するのではなく、相手に働きかけることで対価を得るのだから、産業として分類からすれば、医療が「サービス業」に入ることも納得できる。しかし、それはあくまでも経済学の視点から見た医療の姿であり、日常語としての「サービス」が意味する範囲で「医療がサービス」であるわけではない。だが、いろいろな人と話をしていると、その点に混乱がある人が少なからずいることに気付く。

ここで詳細を述べる必要は無いのかもしれないが、一般のサービス業は質の良いサービスを提供することで、より高い価格設定が可能で、他社との競争が可能だが、医療の「産業構造」はそのようになっていない。提供する「労務」のレベルや質はさまざまだが、医療本体の価格は公定価格である。診療の規模が変わらなければ、金をかければかけるほど損をする仕組みになっている。また、「サービス」という言葉は、一般的には「無料」という意味でも使われるが、もちろん薬を「サービス」したり治療法を「サービス」したりすることはありえない。「サービス」には奉仕の意味もあり、実際に医療現場では患者や家族への奉仕がおこなわれているが、奉仕は医療者の自発的な思いから医療の外でおこなわれているものであり、医療に組み込まれたものではない。さらに、日本語の語感としては「サービス」と「奉仕」は別物である。

したがって、経済的に見れば医療は「サービス」なのだが、一般的な語感では医療は「サービス」ではないということになる。「医療はサービスか」という問いに対しては、否定と肯定のどちらも成り立つと言えるだろう。ところが、この事態を無視した議論がおこなわれることがある。水掛け論に終わることは、当初から目に見えている。

ビジネスという言葉についても、同様の混乱がある。医療が産業であれば、当然ビジネスでもあるだろう。ところが日常語の「ビジネス」には「金儲け」というニュアンスがあり、また「デジタル大辞泉」の解説「個人的な感情を交えずに利益の追求のみを目的として進める仕事」からも推察されるように「冷たい」印象もある。すると、日常の語感を重視した場合には、医療は「ビジネス」ではない、あるいは「あってはならない」ということになる。

ただし、医療の分野によっては日常語のビジネスに近い感覚で捉えられている場合もある。たとえば、メディカルツーリズム対応や、その逆の医療輸出だ。外国との関係の中でおこなわれる医療は、産業、ビジネスの側面が強い。しかし、そのことがかえってメディカルツーリズムや医療輸出に対する「胡散臭さ」を生み出していると感じる。

国民に医療を提供する仕組み自体はビジネスではない。国民皆保険制度で縛られていること、診療報酬が定額制であることなど、「サービスでない」という指摘で挙げたのと同様の理由の他に、患者に対する理解や共感が重要視され、医療の公共性のためにときには採算を度外視した対応が必要となるなど、「ビジネス」の語感とはおよそかけ離れた実践が要求されているからだ。これまで、何冊かの本を読んできたが、「ビジネス」の二面性をきちんと捉えた本は無かった。安倍政権の方針で医療特区などが創設されるのだろうし、それが無くてもメディカルツーリズムへの圧力は次第に増すだろう。その際には「ビジネスである医療」と「ビジネスでない医療」をきちんと切り分けた上で議論や対応をおこなわなければならない。