大野更紗『さらさらさん』を読了した。同書に掲載された対談のうち、大野と重松清との対談「『可哀相なひと』と『困ってるひと』はイコールではない」について書きたい。これは「SYNODOS JOURNAL」に2011年12月2日に掲載されたものである(http://synodos.jp/info/1828)。

大野が福島県出身であり、重松も震災に取材した本を書いていることから、冒頭から福島の話になる。重松から「取材が多いだろう」と水を向けられ、大野は「『福島』で取材のお話を頂いたり、福島のことを書いてくださいと言われたときは、基本的にはお受けしないようにしてきました」と言う。
わたしには代弁する資格はないと思っています。父母も含め、親戚の多くが福島で暮らしていて、原発の作業員もいます。原発避難民の親戚もたくさんいます。農家の親戚もいます。3・11のすぐ後に「テキストの担い手として、福島の人に後ろ指さされるようなことだけはしてはならない」と、福島出身という立場である自分を戒めました。

この自制的な態度を重松は「戒めのデリカシー」と呼び、大野のストレスになっているのではないかと心配していたが、大野自身はそのようなことはないと言う。彼女にとって自制は自然な態度であり、日頃の行動と一貫性を持った立ち位置にすぎないのだろう。難病患者でありながら、難病を客観視したような語り口と共通した点があるように感じられる。

この対談には、興味深い発言、重要な指摘がいろいろ出てくるが、対談自体は比較的とりとめも無く、内容をまとめにくい。興味深い発言には、福島の人間と東京の人間を比べると、東京の方が浮き足立っているというものがあった。大野は、福島県の書店でのイベントに参加した際、「逃げられるところから見える景色と、本当に逃げられないところから見える景色はぜんぜん違う」と感じ、東京にいてはわからない福島の人々の生活を感じた。
大野 書店の一角で三十分話しただけでしたが。それはともかく、郡山市のその書店で、福島で日常を暮らす人たちにお会いした。そこで、東京の人こそ「苦しい」のかなと感じました。福島で少しずつ日常が壊れて、土地が消えようとしていることは、もちろんわかっているんだけども、放射線やこれからどうやって生きていくかという事実から少し切り離した心情的な話では、東京の人のほうがストレスを感じ、怯えている印象があるんですよね。

重松 うん。いまの東京の人たちは、たとえば「引越しをする人もいるし、しない人もいる」「しようと思えばできる」という選択肢のある状況に、かえって悩まされて、苦しめられている気がする。開き直れなくて右往左往しちゃう。

大野は、東京のほうが浮き足立っていると感じたと言い、重松は「ここで生きるしかないんだ」と開き直り腹をくくった人は強いのだと言う。逆に言えば、福島の人々は現地にいることでその強さを得るのだろう。

重松が子育てについて言っていたことも面白かった。最近の子どもが負けることを嫌がり、チャレンジしようとする気持ちを失いつつある、適当なところですぐ満足して落ち着いてしまうという文脈でだ。
親としての立場からいうと、世間全体が子どもたちに「自分らしさが大切だ」とか「お前はお前で満たされてるんだよ」と言いすぎてしまったのかなって。本当はまだまだ足りないものがいっぱいあるのに、「探しに行ってこい」ではなく「自分らしく」と言って、それが都合よく解釈されちゃった気もする。[中略]かみさんともよく話してるんだけど、ちょっとほめて育てすぎちゃったかな、と。もっと厳しくやりゃよかったかな(笑)。[中略]
たとえば、走り高跳びで言えば、1メートルを跳んだのを「すごいぞ」とほめる。それは、気分よくなって1メートル20に挑戦するかなと思ってほめたわけ。そうやって上がっていき、ときには挫折して、励まして、と思ってね。ところが、1メートル跳んで拍手したら「じゃ、もうやーめた。いいもん、1メートルで」って(笑)。

褒めて育てるのが主流である。たしかに短期的な効果は高い。しかし長期的な効果について疑問があることは、このブログでも述べてきた。やはり昔ながらの「叱って教育する」ことの利点も探っていかねばならないだろう。何しろ「先人の知恵」なのだから。