福島県で働く内科医の越智小枝がウェブマガジン「JBpress」に連載している記事が面白い。このブログでも何度か取り上げたが、2014年1月23日配信の『現職が次々落選する福島県が教える“普遍的事実”―世界中で起きているリスクコミュニケーション問題に目を向けよう』(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39746)も面白かった。

昨年(2013年)12月22日に福島県相馬市で市長選挙が行われ、現職有利の予測に反し、わずか200票差の僅差で現職の立谷秀清が辛勝した(4選)。立谷はメールマガジンを発行しており、医療ガバナンス学会のメールマガジンMRIC(http://medg.jp/mt/)でもしばしば取り上げられている。復興に早期から積極的に取り組み、大きな成果を挙げている。それが勝因であると分析されているが、それではなぜ「辛勝」だったのか。新聞では「東京電力福島第一原発事故後の対応への不満」が原因と分析している(http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312220101.html)が、越智は国(政府)、地方自治体を含む「現状」への住民の不満が噴出した結果とみている。
「政府」という集団に対する不満は、福島に限ったことではありません。2011年6月に15歳以上の男女1200人に対し行われたアンケートでは、「災害時における情報源として最も信頼できないもの」につき、59.2%が「政府・省庁」であると答えています。
2010年の同じ調査ではこのように答えた人が22.7%でしかなかったことを考えると、福島第一原発事故が国民の政治不信に与えた影響の大きさがうかがえます。

越智はこの後、時系列で原発事故直後の政府の対応がいかに杜撰であったか(あるいは嘘にまみれていたか)を検証するが、「しかしこれは本当に日本特有の問題なのでしょうか」と問いを立てる。彼女の真価はこの点だろう。
この事態を傍観し、批判することは容易です。しかし人災であれ天災であれ、災害がある限り、私たちは何かを学ばなくてはいけないと思います。ではこの事件から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

越智は「世界の様々な事件において、政府のリスクコミュニケーションの失敗には驚くほどの共通点が見られ」ると指摘する。彼女は2010年のメキシコ湾原油流出事故、2013年に米国東海岸を直撃したハリケーン・サンディ、英国の狂牛病問題と比較し、以下の共通点を指摘している。
1. 事件の中心となる産業が多大な国益をもたらす産業であった。
2. 政府の政策策定に協力した科学者が必ずしも十分な専門知識を持っていなかった。
3. 情報が出揃うまで政府が安全性を強調し続けた。

また、失策の原因として情報共有の悪さを挙げ、情報公開により事態が改善するという意見に対しては「少し楽観的すぎる」と反対する。公開する情報は客観的な科学的データでなければならない。しかし、その「客観的な科学的データ」はどのようにして得られるのかを考えていくと、いろいろ問題があることがわかる。
まず、どのような科学者が信頼できるかという判断は主観的であり、この価値基準は国ごと、あるいは政治家個人によっても大きく異なります。
例えば米国では知識の豊富な専門家が招聘されることが多く、英国ではこれまでの社会貢献度の高い者が御用聞きとなる傾向が高いといいます。また日本においては、原発事故の参謀が最初首相の人脈のみで構成されたという報告もあります。
さらに、「信用のおける科学者」を選定した結果、そのグループの利権に不利な研究は発表されない、あるいは行われないという結果が生じます。福島原発の後、英国のネイチャー誌に掲載が決まっていた「放射性物質の海洋環境への影響」に関する論文が、所属機関長の許可が下りずお蔵入りとなったことは有名な話です。

つまり、科学者がデータ解析の結果を示しても、それが妥当であるか判断することは困難であり、しかも、別々の科学者が別々のデータを出してくる可能性もあるのだ。難しい病気の診断に似ている。

もちろんここで越智は結論を出しているわけではない。上記のような事実を踏まえ、すこしずつでも賢くなっていこうと訴えている。