【このブログ記事は誤って掲載し忘れていたものです。11月28日分として11月30日に掲載し、この後のブログ記事は日付を1日ずつずらしています。】

中村春作、市來津由彦、田尻祐一郎、前田勉:編『「訓読」論―東アジア漢文世界と日本語』(勉誠出版)を読了した。複数の論文を集めた本で、編著者も多いため、本日は紹介をしない。今後、掲載論文を取り上げる際に著者について触れたい。

この本を読んで感じたのは、私が知らない世界がなだこんなにあったという感慨である。複数の学会があり、学術専門誌も複数あるのだが、畑違いの私は全く知らなかった。いや、私の知らない世界があることは、当然理解している。私が驚いたのは、漢文という中学生から親しんできた分野について、いかに私が無関心だったか、当然のこととして疑問を持たないことがいかに多かったかということについてだ。
戦後の学校教育において、「国語」教科書はなぜ、「古文」と「漢文」に部分けされるのか。そもそもそれはいつからなのか。高校の古典教科書の教材に、時代的、素材的な偏りが明らかに存するのはなぜなのか。私たち自身、高校において学んだ教材を思い出してみれば、『源氏物語』『伊勢物語』『竹取物語』『枕草子』『更級日記』『土佐日記』……等々が容易に思い出されるのだが、振り返ってみれば、その多くが平安朝の、それも女性によって書かれた文芸が中心なのはなぜなのか。平安期に漢文で書かれた詩文集が教科書に日本古典として登場しないのはなぜなのか。近世に目を転じてみても、十返舎一九『東海道中膝栗毛』や芭蕉の紀行文が教科書に載ることはあっても、当時第一級の文人と目された、伊藤仁斎、荻生徂徠らの文章が教材として登場しないのはなぜなのか。(7ページ、中村春作『なぜ、いま「訓読」論か』)

この中村の文章を読んだ時、私は愕然とした。私は、あるべき教育とは全てを公平に教えるものだと思っている。私がそのような教育を受けたいと思うのは、そのような教育により偏りの少ない人間が形成されると考えているからだ。本ならどのような本でも読んでみることにしているのもそのためだ。ところが、肝心の日本語教育で、教材の意図的な排除と選択が行なわれていたのだ。まさに「私たちを無自覚の内に規定してきた『近代の学知』(7ページ)」であり、「近代に成立した国民国家の枠組みにあわせて、その都合(「一国」という近代の枠組み)によって『学問的に』切り取られてきた歴史や言語や文学(8ページ)」があったのだ。このようなことを知ってしまうと、大袈裟に言えば「知恵の木の実を食べてしまった」ようなもので、国語教育について、今までと同じように見ることは困難になる。

社会科教科書、歴史教科書については、文部科学省の統制が厳しく、その思想的背景に偏りがあることは以前から指摘があり、私も知っていた。国語教科書については全く「ノーケア」だっただけに衝撃が大きかったのだ。自分の能天気を反省せねばならない。

この本を読んで思い出したことがある。私が通学していた中高一貫校は生徒にユニークな人材が多かったが、中に漢文の教師の訓読を批判する生徒がいた。訓読の流儀は複数あり、教師某は複数の流儀を混在させているのでものを知らないといった批判であった。その頃は聞き流していた批判であるが、本書により40年以上を経てやっとその批判の意味するところの片鱗を理解することができた。