以前読んだ本であるが、シャロン・モアレム『迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか』(NHK出版)について書きたい。モアレムは医師で、神経遺伝学や進化医学の研究者でもある。本書にはジョナサン・プリンスという共著者がいる。ただ、対等な共著者という扱いではなく、表紙の表記も少し小さめだ。プリンスは米大統領の演説原稿を書いていた人物のようで、きっと表現を直したり構成にアドバイスをする編集者のような役だったのだろう。そのような人物の助力のためか、本書は軽妙な語り口で、非常に読み易い本に仕上がっている。翻訳も良い。日本版は2007年初版で、比較的新しいこともあり、ネシー、ウィリアムズ『病気はなぜ、あるのか』よりも薦められる本かも知れない。本書も各章がトピックに分かれて構成されている。今回は第5章「僕たちはウイルスにあやつられている?」を取り上げたい。

このブログでは、人間の考えは単に脳の中で純粋に生み出されているのではなく、様々な外的・内的要因を反映しつつ生成されているということを主張している。つまり、使用する言語、性別、年齢といった要素から独立して存在する思念は無いという主張だ。そのような視点からも、人間が病原体から操られているという見方は非常に興味深い。

彼は先ずヒト以外の動物が病原体から操られる例を挙げる。中米に棲むクモと、それに寄生するハチの例では、ハチがクモに卵を産みつけ、孵化した幼虫が成長し繭作りの準備が整うと、幼虫はクモに化学物質を注入する。すると、クモの巣作り行動が変化して、円形の巣ではなく、四角形の繭台を作るようになる。体内の幼虫が体外に出る頃になると、クモは繭台の中央で動かなくなり、そこで死を迎える。ハチの幼虫がクモの本能的行動をどのようにして乗っ取るのか、詳細はまだ不明とのことだ。

ランセット肝吸虫はウシやヒツジの肝臓に棲む。虫が産んだ卵は糞中に排泄され、それをカタツムリが食べる。卵はカタツムリの体内で孵化し、幼虫は粘液とともに排出される。幼虫はアリに吸収される。幼虫を吸収したアリの行動は変化する。日中は普通のアリと同じような生活をするが、夜になると巣を抜け出して、草の葉の先端にとまってじっとしている。一晩食べられずに夜が明けると、他のアリと一緒に働く。また夜になると草の葉の一番食べられ易い場所で草と一緒に食べられるのを待つのだ。

南仏のバッタに寄生する一種の線虫は、時期が来るとバッタを水に飛び込ませる。バッタは死ぬが、線虫は体外に抜け出し、さらに繁殖する。

昆虫の例も非常に興味深いが、以下に述べる哺乳類の例はさらに示唆的である。狂犬病の犬は嚥下障害を起こしてヨダレを垂らすようになるが、凶暴にもなる。ヨダレにはウィルスが多く含まれ、噛み付かれると感染する。犬が兇暴になるのは狂犬病ウィルスの影響である。

トキソプラズマはネコに寄生する感染原虫で、ネコの体内でしか有性生殖できない。感染したネコは胞子嚢を糞中に排泄するが、胞子嚢が動物の体内に入ると孵化して幼虫が産まれる。幼虫はネコへと移動する必要があるが、このとき感染した動物をコントロールする。
メカニズムはまだ完全にわかっていないが、脳に入ったトキソプラズマはネズミをいろいろな面で変えてしまう。まず、そのネズミは太り、動きが鈍くなる。つぎに、捕食者であるネコを怖がらなくなる。いくつかの実験によれば、感染したネズミはネコが排尿してマーキングした場所を避けるどころか、そのにおいに引き寄せられるらしい。(135ページ)

従って感染したネズミはネコに捕食され易くなるなる。トキソプラズマに感染した人間の行動も変化するという報告があるらしい。
プラハのカレル大学のヤロスラフ・フレーグル教授は、トキソプラズマに感染した女性はそうでない女性に比べて衣服にお金をかけ、つねに魅力的に見せようとする傾向があることを見出した。[中略]一方、フレーグルは感染した男性を、身なりに気を使わず、独りぼっちでいることが多く、喧嘩好きだと観察している。さらに、疑い深く、嫉妬深く、ルールに従うのを嫌うそうだ。(137ページから138ページ)

その他、引用が長くなるので、ここまでにしようと思うが、連鎖球菌により引き起こされると考えられている自己免疫性の精神疾患があり、それに関連して、小児の強迫神経症が連鎖球菌感染と関連があるとする考えがあること、あるいはヘルペスウィルス感染で性欲が亢進するという知見などが挙げられている。いずれにせよ、人間が自分が自力で感じ、考えていると思うのは思い上がりかも知れない。