ハーバート・ギンタス『ゲーム理論による社会科学の統合』(NTT出版)を読み進めていたが、中断することにした。400ページほどの本で、150ページを越えるところまで読んだが、このまま読み進めることには無駄が多いと結論した。以前にも書いたように、この本は訳に問題がある。しかしそれは中断の理由ではない。

この本を読み始めたきっかけは、ゲーム理論に興味があったことと、社会科学の統合という壮大な主張に惹かれたからだ。しかし、この本はゲームの理論とそこで使われる数学について、一定の基礎知識を前提としていた。この本では説明なしに新しい記号が使われることが多い。例えばギリシア大文字のΠは、普通は多数の項目の積に使われる記号だが(複数の項目の和を表すのに使われるギリシア大文字のΣに似ている)、この本では集合の演算を表すのに使われている。数学的な類推からすれば、連続する集合の積集合を表すと考えられるが、文脈からすると和集合を表しているように思える。このような重大なことを棚上げにしたまま読み進めることは非常な苦痛を伴った。

また集合の前にギリシア大文字のΔを付加する記法(とたえばΔS)も登場するが、このΔにどのような意味があるのか(演算子であるのか、添字であるのか)が示されていない。添字と解釈して読み進めたが、すぐその後にΔ*Sのような記法が登場した。こうなると、Δや*にどのような暗黙の意味が付されているのか、分からないと非常にフラストレーションがたまる。

数学の本では全ての記号や記法が説明とともに導入される。もちろん、初等中等教育で説明済みの記号は解説なしに使用される。等号=、不等号<、>、四則演算記号などが説明なしに導入される代表的なものだ。コンピュータ関係の言語解説書では、あらゆる記号が説明される。たとえば()でさえ、演算の実行順序の変更、関数を示す演算子など、複数の役割を担うので、ことこまかに説明される。

しかし、論文となると別だ。フェルマーの最終定理を証明した論文では、様々な記法が前提知識とされて説明なしに使われているので、冒頭部分から理解できなかった。コンピュータ関係の論文なら、計算量を表すO記法などが説明なしで使われるだろう。この本も、一般書のように紹介され、販売されているが、専門書に近いものだと思う。きっと、ゲーム理論を学んだ人や、ゲーム理論の教科書を読んだことのある人ならば問題なく読めるのだろう。

「読書百遍、意自ずから通ず」という言葉があるが、私はこの言葉を素直に信じている人間である。このギンタスの本も、何遍も繰り返して読み、掲載されている証明を、紙と鉛筆で実際に追ってみれば、随分理解が進むかも知れない。それよりも、ゲーム理論の入門書なり、教科書なりを読んで勉強すれば、本書の内容も良く分かるのだろう。しかし、残念ながら、私にはゲーム理論をそこまでして学ぼうと言う気がない。そこで中断することにした、気軽に読める本ではなかったということなのだろう。

ただし、読んで分かったことはある。ゲーム理論は、プレーヤーがどんな方法で思考するかを想定して数式化し、様々な局面でのプレーヤーの行為を計算で求めて行く。計算で求めた答えと、実際の実験の結果が一致する場合が多い。それは、人間の思考パターンが、結果としてかなり単純なもので、異なる対象に対しても同じパターンが繰り返して使われているということを意味している。人は、ゲームを行う時に、様々に考えを巡らすのだが、出てきた結果は、統計的に見ると、単純な理論で説明可能である。これも、脳細胞の働きを詳しく解析するより、巨視的に人の行動を観察したほうが、より早く正確に規則が発見できるということを示しており、以前からブログで取り上げている、マクロレベルでの把握をミクロレベルでの把握で置き換えることはできないと言う主張の傍証になっているのではないだろうか。