多田富雄『寡黙なる巨人』が文庫化された(集英社文庫)。養老孟司の解説がついている。文庫本は読んでいないが、単行本(集英社)は読んだ。学会出張の際に、ホテルの近くの古本屋に行き、そこで購入したものだ。

多田富雄は東京大学名誉教授で免疫学の大家である。2001年に脳梗塞を発症し、右半身不随と構音障害、嚥下障害が残った。「半身が動かなくても、言葉が喋れなくても、私の中で日々行われている生命活動は創造的である」「歩き続けて果てに熄(や)む」などの言葉を残している。2005年12月4日にはNHKスペシャル「脳梗塞からの“再生”」が放送され、2012年6月2日にはNHK「あの人に会いたい」で取りあげられた。「あの人に会いたい」は土曜日の5時45分から再放送されているので、私はその再放送で見た。

多田は、自分で動かすことのできない自分の体を、まるで他人の体のように感じた。その体が徐々に動き出すのを感じて、体の中で何かが生まれるような気がした。
発病直後は絶望に身を任せるばかりで、暇さえあれば死ぬことばかり考えていた。言葉を発することができないので、ただおろおろと、人のいうがままに動いていた。あのときすでに死んだのだから、日常は死で覆われていた。私は死人の目で世界を見ていた。後で考えれば得がたい経験だったが、そのときは絶望で何もかもが灰色だった。希望のかけらすらなかった。
それがリハビリを始めてから徐々に変わっていったのだ。もう一人の自分が生まれてきたのである。それは昔の自分が回復したのではない。前の自分ではない「新しい人」が生まれたのだ。(231ページ、以下ページ数はすべて単行本による)

多田は体の中に生まれた「新しい人」を「寡黙な巨人」と呼んだ。そして、初期の絶望から立ち直り、徐々に姿を現す「寡黙な巨人」にいとおしさを感じるようになった。
つらいリハビリに汗を流し、痛む関節に歯を食いしばりながら、私はそれを楽しんでいる。失望を繰り返しながらも、体に徐々に充ちてくる生命の力をいとおしんで、毎日の訓練を楽しんでいる。(回復する生命―その2)(113ページ)

そうやって、些細なことに泣き笑いしていると、昔健康なころ無意識に暮らしていたころと比べて、今のほうがもっと生きているという実感を持っていることに気づく。(苦しみが教えてくれたこと)(117ページ)

終末医療に携わるものとして、高齢者の重篤な疾患の場合に、どこまで治療を頑張るかという問題を考えることが多い。多田が脳梗塞で倒れた時がまさにそうだっただろう。彼は救命されたが後遺症のためにQOLが著しく低下した。多田は絶望の淵から這い上がり、前向きに人生を歩むようになった。彼がこのように前向きにならない状態のままであれば、果たして救命に意味があったのだろうかと、本人も、家族も悩に続けたのではないか。重篤な状態の患者を前にしたとき、ただ患者の苦しみを引き延ばすだけだからと、治療を諦めることがないだろうか。この多田の経験を読むと、軽々に治療を諦めることがいかに危ういことであるかが分かる。

文庫本が出たのを機会にAmazonの書評(カスタマーレビュー)を読んでみた。私はこの本を好感をもって受け止めていたので、低評価のレビューがあることに正直言って驚いた。以下は★1つ(最低評価)のレビューである。
脳梗塞は三大成人病。すなわちこの障害を患っている人の数は計り知れない。誰にでも起こりうることであり、別段驚くことではない。そんな○千万人にもなる莫大な患者数の中で、著者以上に悲しみ、苦しみ、著者以上に頑張っている方は五万といる。
ただ、違いといえば著者がもともと著名な人物であったというだけだろう。

その通りとしか言いようがない。しかしこの論理では、最も苦しんでいる人だけが苦しみを訴える権利があるように聞こえてしまう。このレビューは★2つのレビューに引用されており、そこでは、著者が恵まれている環境にあるのだから「文句を言うのは罰当たりだ」と言っている。上のレビューの主も同様のことを言いたかったのだろう。確かに多田は恵まれている。経済的にも、社会的にも。しかし、恵まれている人間は文句を言うべきではないと言い出すと、結局は不幸の度合いの競争になってしまう。誰かが自分の身に起こった災難や疾患について書くと、必ずそれより不幸な人がいるはずだから、その人を引き合いに出して批判されることになる。多田の文章を読んでいても、私には彼が悲劇の主人公になって我が身ひとりの不幸を嘆いているとは思えなかった。多田が免疫学者として数々の業績を残しているということを知っているために、私の見方にバイアスがかかっているのかもしれないが、多田の文章に見るべきものがまったくないと断定されるのはいささか悲しい。

★が少ないレビューでは、多田の「リハビリ打ち切り政策批判」に対する違和感を訴えているものが多い。これには私も同感である。「批判」ではなく「提言」であれば、もっと歓迎されたであろう。「リハビリ打ち切り政策」はリハビリを受けている患者・障害者にとって、まさに人生の夢を奪われるような仕打ちと言っても良いと思う。確かにレビューアが指摘するように、必要性の精査や財源の問題を抜きにして一方的に厚労省を批判するだけでは生産的ではない。しかし、多田にはそうするしかないような切羽詰まった心情があったのだろう。

多田は千葉大の出身であるが、免疫学の領域で大きな成果を挙げ、東大の教授として招聘された。当時は東大の教授はほぼ東大出身者で占められており、他大学の教授を採用するのは異例のことであった。それだけの業績を上げているのだと学生たちは噂したものである。多田同門会(弟子たちの集まり)は東大内の施設を使って行われている。以前その多田が、學士會発行の「U7」(だったと思う)に東大を批判するエッセーを寄稿したことがある。その中で多田は、千葉大はすばらしい環境で、自分は千葉大に育てられたが、東大に移って「せこい学生とせこい教授」に囲まれ、何も学ぶべきことがなかった、と「口を窮めて罵る」という表現が相応しいと思える書き方で東大を批判していた。多田の厚労省批判を読みながら、U7のエッセーを思い出した。そのような見方があるという事実は受け入れるが、寂しさを感じるのもやむを得ないだろう。