阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

介護保険法の第1条は法律の目的を次のように定めている。

第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=82998034&dataType=0&pageNo=1)

つまり「尊厳の保持」と「能力に応じた自立」の両方が目的である。二木が「厚生労働省の介護保険法等改正の説明では自立支援のみが強調されている(41ページ)」と述べていたので、同省の文書のうち「介護保険制度の概要」のページ(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/gaiyo/index.html)に掲載されていたものをいくつか読んだが、たしかに「尊厳の保持」という言葉は見当たらなかった。高齢者の自立支援のみが強調されることは好ましくない。

その点、二木は『地域包括ケア研究会2016年報告書』を「尊厳自立支援を同格に扱っている」として、「見識がある」と評価している。

しかも「自立支援は心身機能の改善ではなく、高齢者の尊厳の保持のためにある」ことを強調し、「自立を狭く理解し、『自分でなんでもできる状態』のようにとらえれば、支援プログラムは、本人の意思に基づいたものではなく、単なる強制的なトレーニングのような介入になってしまうだろう」と警告しています(41ページ)

だが、二木は「2017年5月に成立した改正介護保険法には、利用者の尊厳やQOLの向上に触れることなく、自立を要介護度(歩行・日常生活動作)の改善に矮小化した自立支援等施策が盛り込まれた(53ページ)」と批判している。そして、この施策が導入される契機となったのは、安倍晋三首相の2016年11月10日の第2回未来投資会議における発言であるとみている。(この項続く)

在宅医療を往診により支えるとすれば、病院の往診システムも整備しなければならない。現在、往診にあたるのは開業医・クリニックが中心だが、数が圧倒的に足りない。開業医の中で、定期的な訪問診療ではなく、緊急時に対応できる往診をおこなっているものは多くない。特に、24時間往診対応のクリニックは少ない。独居で終末期を迎える人々が急増すると予想されているのに、クリニックがそんなにすぐ増えるわけもないし、一般の個人開業医が24時間対応を続けることには無理がある。病院の往診対応が必要になる。

厚生労働省は2018年の診療報酬改定により、200床未満の中小病院を地域包括ケアと在宅ケアに本格的に参入させるためのインセンティブが設けられた。

今回の改定により、在宅医療・かかりつけ医は診療所・開業医(のみ)が担うとの狭い理解(誤解)が払拭されると思います。(91ページ)

二木によれば、2003年に厚生労働省老健局長の私的検討会が報告書「2015年の高齢者介護」を取りまとめた段階では、医療は「診療所医療・訪問診療に限定されていました(90ページ)」という。

その後医療の範囲は徐々に拡大され、2012年には厚生労働省の有力高官が地域包括ケアシステムに中小病院を含むことを一斉に述べました。特に香取照幸政策統括官(当時)は2012年6月の日本慢性期医療協会総会の講演で、地域包括ケアシステムの概念に「入院機能を持った病院を組み込むことが必要」、「これまでは有床診のような20床くらいの小規模なサービスを考えていたが、もう少し規模の大きいものを考えないといけない」と明言しました。(90ページから91ページ)

このような、方針の変化を時期を特定して述べることができるのは、二木が非常に丹念に情報を収集し整理しているからだ。感心する。

また、厚生労働省は「在宅」の定義に自宅だけではなく高齢者施設も含めているので、少なくとも定義の上では独居者が中小の病院で最期を迎えることのハードルが下がったと言える。だが、中小病院で24時間対応の往診体制を組んでいるところは少ないし(それだけのマンパワーがない)、どの病院もベッド稼働率を上げるよう努力しているため、緊急の入院も難しいことが多い。また、私の周りの中小病院は建物が古いところが多く、昨今の経営環境では建て替えもままならない。患者は古い建物だというだけで入院を敬遠したりする。制度として適切に設計されていても、実態は少し違うと言える。

補章第3節「日本総研日本の医療に関する意識調査を複眼的に読む」では、2017年の同調査で「自宅で最期まで療養したい」が全体の19.6%にとどまることに注目している。政府・厚生労働省は2012年以降、「自宅死亡」から「居宅生活の限界点を高める」に政策を転換した。

それだけに、ジャーナリズムが、国民の多くが「最期まで自宅」を望むとのステレオタイプな報道を繰り返しているのは残念です。(262ページ)

ひとりひとりがどのような最期を望み、それを叶えるにはどのような対策が必要なのか、包括的な調査と政策立案が望まれる。

最近では終末期医療のあり方が在宅看取りの推進に向けて大きく舵を切っているように思う。人生の最終段階を自宅で過ごしたいという気持ちはじゅうぶんにわかる。私も、自由のない病院で人生の最後の貴重な時を過ごしたくはない。だが、いよいよ最期というときはホスピスで過ごすのも良いと思っている。現在の医療制度では、ホスピスに入るためには癌にならねばならないが、誰でも終末期に入れるホスピス(のようなもの)ができれば、そこで死ぬのもいい。

自宅で死ぬと、葬儀屋や弔問客のために家の中を片付けねばならないし、いろいろと気を遣う。それならば病院に運んで死亡確認してもらい、そこから直葬というのも手間が省けていいような気もする。念のために付言するが、これは私の死に際の話である。

今後の在宅看取り数について、二木は次のように、大きな増加はないだろうと述べている。

今後、単独世帯・夫婦のみ世帯、および高齢者の独居率が高まることを考えると、たとえ診療報酬と介護報酬で自宅死亡増加の誘導が行われても、自宅死亡割合が大幅に上昇するとは考えられません。[中略:各世帯の増加予測、独居率の増加予測の数値が示される]しかも家族介護がないと、公的費用に限っても自宅死亡の方が高くなる可能性が高いと思います。(31ページ)

独居世帯での在宅看取りが増加すると、かえって費用がかかるということは容易に想像がつく。二木は上野千鶴子を批判しながら、彼女の認識はこの点については正しいとしている。

超高齢社会の死亡は「ゆっくり死」との事実誤認に基づいて、「在宅ひとり死」を精力的に提唱している上野千鶴子氏は「家族がいなくても独居者の在宅看取りは可能」としつつ、「現状ではまだまだハードルが高い。看取りの司令塔となってくれる人々 — 親しい友人や、非常に強いコミットメントをしてくれるカリスマ的な医師や看護師、ケアマネさんや介護職 — そうした人的資源に恵まれた人だけが、独居の看取りが可能という状況」と認めています(『ケアのカリスマたち』亜紀書房、2015、339頁)。(31ページ)

独居の人々が、本当の終末期を迎えた場合に安心して入れる施設を作る必要が出てくるのではないか。その施設は、入ったらおしまいという暗い印象を持つものではなく、安心して終末を過ごせるという頼りになる施設というイメージを持つものである必要がある。

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