阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

第10章は「シグナリング」だ。シグナリングとは、応募者が採用者に個別に情報を送ることで、特に「自分がどれだけの能力を持っているか(あるいは相手にとってふさわしいか)」と「自分がどれだけ相手に関心を持っているか」という情報を送ることを指している。市場は情報(コミュニケーション)過多になることがしばしばある。「コミュニケーションが安価で容易になればなるほど、その情報有用性が低下する(226ページ)」ので、シグナリングの重要性が増す。

大学受験の場合、米国は共通願書出願サイト(通称「コモンアップ』)を使って出願する。多くの大学に簡単に出願できるので、大学側は志願者の関心度を測りにくい。そこでキャンパス訪問したかどうかを参考にしたり、小論文を追加したりする。

日本や韓国の大学は、志願者が多くの大学を併願できないようにしている。大学は独自の入学試験を課し、ライバル校に試験日をぶつけることによって、生徒が受験できる大学の数を制限しているのだ。そのため生徒は特定の大学の試験を受けるだけで、とても強力な関心のシグナルを送ることになる。(229ページ)

米国の場合、学生が有効なシグナルを送ることは容易ではなく、また大学もシグナルの解釈に苦慮していた。そこでロスが議長を務めた委員会は「シグナリング・メカニズム」を開発した(おそらく全米の経済学部で組織する委員会だと思う)。

応募者は公募がほぼ出そろう12月にAEA[米国経済学会]のウェブサイトにログインして、応募ずみの学部あてに最大で2つまでの「関心のシグナル」を送ることができる。シグナルを受け取った学部は、応募者が2つのシグナルのうちの一つを使って、面接の希望を伝えてきたことを知る。(233ページから234ページ)

このシステムのおかげで大学は学生の「本気度」を知ることができるようになった。「最大2つ」というところが面白い。2つあれば、ひとつは「高望み」の第一志望に送り、もうひとつは妥当な第二志望に送ることができる。大学のほうは自分が第一志望なのか第二志望なのかわからない。学生にとっては安全だ。

ロスはこれと同じ状況が多くの出会い系サイトで起こっているという。魅力的な女性には返信しきれないほどメールが殺到するので、男性は返信をもらえない。そこで男性はますます多くのメールを送ることになり、メッセージは手抜きになる。そのためにますます返事をもらえなくなるという悪循環に陥る。

ところが、ある結婚サイトが企画した特別イベントの際に、参加者に仮想の「バラ」を2本ずつ与え、問い合わせ(プロポーズ)に添付することができるようにしたところ、「バラを添付したプロポーズはそうでないプロポーズに比べて、受け入れられる確率が20%高かった(236ページ)」のだそうだ。オンラインでは便箋や封筒に凝ることができない。このようなシグナリングのツールが非常に役立つのだろう。

日本の医療では医師数の地域格差が問題となっており、地域枠の創設などの工夫がなされているが、このブログでも取り上げたとおり、今度は地域枠の運用が大問題となっている。医師数の格差は米国も同様のようで、ロスも「『マッチ』をどうにか調整して、定員割れの続く地方の病院に研修医を送り込めないだろうか?」という要望を受けたという(203ページ)。

私は「マッチ」のリデザインを依頼されるかなり前、「僻地へきち病院の定理」として知られるようになった数学的結果を証明した際に、この質問に対する答えが「ノー」であることを発見していた。安定マッチングが複数あるとき、どれか一つの安定な結果において定員が埋まらない病院は、どの安定な結果が選ばれても、得られる医師の集合はまったく同じであることがわかっている。(203ページ)

これは医療研修が「医学生と研修プログラムが双方の希望に基づいて自由にマッチングされる競争的な市場」でなければならないという前提に立っての結論だ。自由な競争的市場であるから「希望している以上の数の医師を地方の病院に送ることはできない」のだ(204ページ)。

研修医にとって、将来のキャリアを大きく左右する最初の仕事については、給与はあまり問題とならない。だから「地方の病院は単に給与を上げるだけでは多くの研修医を集められない」という。彼は逆に中堅医師を雇うほうが賢明だという。

地方の病院にとっては、キャリアがすでにある程度固まった中堅の医師を雇う方が安くつく。中堅の医師は研修医に比べて給与は高いが、技能に長け、ベテラン医師のきめ細かな指導を必要とせず、報酬の一環として幅広い教育を求めることもないからだ。(204ページ)

これはこれからの日本の医療を考える上で非常に重要な指摘だと思う。まず、初期臨床研修を地方の病院で受けさせるためには、研修の定員を初めから地方に有利なように設定する(つまり都会の研修定員を絞る)しかない。これなら一応「自由な競争的市場」が維持される。それを維持しなくていいというなら、一部の学生は地方しか選べないような制度を作るしかない(だがそれは少し悲しい)。

さらに、初期臨床研修を受け入れる病院は、教育環境を充実させる必要がある。そうでなければ、そこに研修医を強制的に配分したとしても、育つ医師の質が低下する。教育環境でもっとも重要なのが指導医の質であるが、これは一朝一夕に確保できるものではない。自治医科大学出身の学生は優秀だし、同窓のネットワークもあるので、非常に優秀な医師を数多く輩出しているが、全大学の地域枠が同様に運用できるかは疑わしい。

逆にある程度キャリアを積んだ医師が地方で一定の年数働くことを義務付けたほうが、ずっと効率的かもしれない。

適切に設計されていないマッチング市場は「暴走」する。つまり、優秀な人材を囲い込むために、受け入れ側の勧誘が早期化し、日本でいう「青田買い」の状況が極端に進行していく。また応募者側も多数の受け入れ先と交渉しなければならず、本来の第一志望を志望できないことも生じる。

ロスらが構築する制度は、「受け入れ保留アルゴリズム」と呼ばれる方法を使っている。受け入れ側と応募者から希望順位の提出を受け、コンピュータで仮の組み合わせを作っていき、組み合わせが安定(お互いに相思相愛なのに引き裂かれているペアがない)したところで確定するものだ(192ページから195ページに具体的な説明がある)。

挙げられているマッチング市場の例の中に米国の胃腸科と整形外科の専門研修がある。科によって市場に新たなデザインを導入するまでの手法が異なり、非常に興味深い。

胃腸科専門医を目指す医師は、フェローシップと呼ばれる研修を受けなくてはならない。これは医学部卒業後に就く最初の仕事である医療研修医(レジデント)として、一般的な内科や外科などの医療研修(レジデンシー)を修了したあとで受ける、専門医研修だ。[中略]
胃腸科専門医の卵が修了しなくてはならない医療研修は内科研修で、期間は3年だ。そのため胃腸科の専門研修医(フェロー)は、建前上は3年間の医療経験を積んだあとで採用されることになっている。だが残念ながらフェローシップの市場の暴走のせいで、採用がますます早期化し、最終的には1年めの医療研修医が、フェローとして働き始める2年も前に採用面接を受けていた。この市場でもやはり双方が代償を強いられ、フェローシップ・プログラムの責任者はまだ経験を積んでいないうちにフェローを採用し、若手医師は自分の適性を知る間もなく専門領域を選んでいた。(103ページ)

クリアリングハウス(マッチング市場を運営する組織)の立ち上げに当たって、ロスらは胃腸科専門研修に関わる4団体に、「もし早期オファーを受け入れた応募者が、クリアリングハウスの準備が整った時点でその決定を後悔していた場合、いったん受け入れたオファーを断ってもいいことにしてほしい(104ページから105ページ)」と頼んだ。説得は大変だったようだが、複数の証拠を示し、断られても混乱は生じないことを納得させ、制度の運用が開始された。

整形外科の場合は導入のしかたが胃腸科と異なった。

整形外科医の団体(少なくとも9つの専門団体を含む)は、年長の外科医との合意を翻す権限を、若い外科医に与えるわけにはいかないと、[いちど受けたオファーを断ってもいいことにしたらという提案を]即座にはねつけた。[中略]だがその一方で、[クリアリングハウスを出し抜いて]早期オファーを出したフェローシップ責任者に制裁を科すことについては、何の障害もなかった。(108ページ)

職人の世界である外科系医師の世界の、上下関係の厳しい体質がよくわかる。

↑このページのトップヘ