阿部和也の人生のまとめブログ

私(阿部和也)がこれまで学んだとこ、考えたことなどをまとめていきます。読んだ本や記事をきっかけにしていることが多いのですが、読書日記ではありません。

病床数とひとり当たりの入院医療費に相関がある(因果関係はわからない)ことを森田洋之はよく取り上げるが、この本では人口10万人あたりの医師数とひとり当たりの医療費との相関が取り上げられている。寄与率は0.5042(相関係数を逆算すると71.0%)で、かなり大きい。医師が最も少ない地域と比較すると、最も多い地域では1.24倍から1.33倍の医療費がかかっている。

しかしながら、最も医師数の少ない都道府県では、医師不足のために、必要な医療を受けられない住民が存在し、そのために医療費が低くなっている可能性が高い。必要な医療なのか、過剰な医療なのかは実際には判断が困難である。(136ページ)

では、この相関に因果関係はあるのだろうか。つまり、医師が増えると医療費が増えるのだろうか。桐野は二木立の論文(「医師数と医療費の関係を歴史的・実証的に考える」『月刊保険診療』Vol. 64 No. 4, pp48-55, 2009)を引用して「仮にそれがあったとしてもそれほど大幅ではなさそうだ」としている。

[二木]は、総医療費の中の医師人件費を経時的に調べ、その総額は総医療費に対してほぼ20%を占め、医師の総数には依存しない傾向があることを示している。総医療費が厳しく制限されている現在の日本の状況では、医師が増えたからといって、その分を医師人件費として増額することは困難である。結局医師一人あたりの所得は今後徐々に低下していくだろう。(137ページ)

このことについては、この本の別の場所にも反論が掲載されている。1986年の「将来の医師需給に関する検討委員会最終意見」(概要:https://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/02/dl/s0225-4e1.pdf)に対する反論だ。この報告書では「医師数の増加に伴う医療費の増嵩についての影響は、病院勤務医1人当たり年8,000万円、開業医1人当たり年6,000万円になるという試算もある」としている。

しかし、医師一人あたり増加する額は国民医療費総額を医師数で割り算したに等しい数値であり、適切ではない。医師一人あたりの「平均医療費」と、医師が一人追加的に増える場合の医療費増加(「限界医療費」)とは異なる。一人あたりの平均値は医療費の増加に対する寄与を過大評価することになる。このことは経済学的には常識的な議論であり、注意を要する。(100ページ)

この最終意見で引用されている試算は数多くの仮定を入れた不確実なものであると思う。開業医の年収は勤務医の2倍以上という「計算」もある(https://gentosha-go.com/articles/-/19969)。上記試算では勤務医のほうが医療費に与える影響が大きいと仮定しているのだろうが、納得がいかない。

それはさておき、桐野のこの文はわかりにくい。要は、医師が1人増えたときに増える医療費の額は、医師1人あたりの平均医療費より小さいのは、学問的常識であり、常識はずれの主張には隠された意図があるということだ。

戦後の医療現場を支えたのは帰還した軍医たちだが、制度の基盤を作ったのは軍だった。

[軍は]医師を大幅に増やして軍医として採用しただけではなく、国民の健康維持に関しても、さまざまな施策を実行している。これは、国民のためというよりは、徴兵検査の結果が悪化の傾向にあり、国民の体力の低下が危惧されたことが大きな理由であった。[中略]1938年の厚生省設置、国民健康保険法公布、国民医療法制定など、直接的に意図したものではないにしても、戦後の福祉国家の根幹をなす政策が次々に進められた。日本において、戦後の高度成長期に取り組まれた福祉政策のルーツは、実に太平洋戦争開戦当時の日本にあって、軍部によって推進されたのである。(65ページ)

軍の士官を養成する陸軍士官学校と海軍兵学校は、陸士海兵と並び称せられたエリート校だった。士官の中に行政の面でも優秀な人がいたのは間違いない。しかし、軍の施策が結局役立ったからといって、帝国陸海軍の愚かな行為が帳消しにされるわけではない。このことは特に強調しておきたい。

なお、軍が設置した医専の閉鎖には時間がかかった。たとえば東京帝国大学に設置された医専の場合、戦後の卒業生のほうが多い。

これは戦前に入学していた学生を戦後まで教育したことと、入学を停止するまでに数年を要し、それまでに入学した学生が卒業するまでの間は教育をおこなったからである。医師に限ることではないが、教育機関には学生もいると同時に多くの教職員が雇用されている。実際に学生数を大幅に縮減したり、あるいは教育機関そのものを廃止したりすることは容易ではない。(70ページ)

この困難性については複数の箇所で言及している。なお、医師養成過程に関する議論でかならず話題になる初期臨床研修問題(初期臨床研修制度の開始により、一時的に大学が人手不足になり、医局による地方病院からの「医師の引きあげ」が起こった問題)を、桐野は次のように評価している。

潜在的に進んでいた医師不足問題が、初期臨床研修制度が導入されたことによって顕在化した。[中略]ここまで問題が大きくなったのは、当時の医療提供体制全体に相当な制度的ひずみが進んでいたことによる。大学から市中の病院に研修医が流れたといっても、研修医全体8000人弱の20%、1600人である。当時の大学病院の医師は約4万3000人ほどであったから、その4%弱にあたる。大学病院の医師の4%に相当する卒後間もない医師がいなくなったために、医師の分布を大幅に組み替えるような医師の再配置が起きて、それが地域の病院での深刻な医師不足の原因となった。そうなるには、それだけ地域の医療が余裕のない脆弱な状態になっていたと考えるべきなのである。(87ページ)

たしかにそのとおりだが、脆弱だったのは大学病院も同じだと思う。雑用を全部研修医に押し付けて医局が運営されていた。研修医は医師であるのに、医療だけをしていることができず、資格がなくてもできるような雑用をしなければならなかったのだ。最近の大学の事情を知らないが、雑用は医局員に分散されているらしい。本来ならば米国のように、雑用を処理できる人びとを雇うべきなのだろうと思う。

医師が足りない、あるいは余っているという場合、どのくらい養成するのかが問題となる。養成数を管理する方式には、大きく分けて入口管理と出口管理とがある。入口管理とは養成組織(医師の場合は医学部)への入学数を管理する方式で、具体的には医学部の数と入学定員を管理する。出口管理とは、資格試験(医師の場合は医師国家試験)の合格者数を管理する方式だ。現在日本では医師養成数に関して入口管理が実施されている。

管理の失敗について、桐野は歯科医師、法曹資格を挙げて説明している。歯科医師が多くなりすぎ、歯科医院が「コンビニより多い(31ページ)」と言われ、「貧困歯科医」が生まれているのは有名だろう。

[歯科医師の]9.5%が年間所得200万円以下となっていて、歯科診療所の経営はきわめて厳しい状況に置かれている(138ページ)

また、司法制度改革で生まれた法科大学院が、司法試験合格者を出せなかったり、学生が集まらなかったりで次々と潰れているのもよく知られたことだと思う。桐野によれば、薬剤師の養成数管理にも問題があり、さらに柔道整復師は明らかに過剰になっているという。

養成数を増やすという「アクセル」を踏めば、慣性がつき、有資格者はどんどん増える。桐野はブレーキを踏むことは難しいという。たしかに、いったん増やした大学や学部を閉鎖させることは、並大抵のことではないだろう。また、ブレーキを踏んでもそれが利き始めるまでに長い時間がかかるともいう。さらに出口管理で合格者数を絞れば、ブレーキの利き始めのときには大学を卒業したものの資格が取れない人が多数出ることも予想される。

獣医師の養成に関しては、安倍首相が親友の加計に便宜を図り、国家戦略特区として愛媛県に加計学園の獣医学部新設を認めたところ、日本獣医学会が猛反発したことは記憶に新しい(https://seo.lin.gr.jp/nichiju/suf/topics/2017/20170623_01.pdf)。なおこの問題については、「四国の獣医師不足を解消するため」が謳い文句であったのに四国枠の合格者が1名しかいないと指摘されている(https://lite-ra.com/2019/02/post-4561.html)。

戦時中、医師数は急激に伸びたが、事情はやや複雑だ。

[医師職の]人気の理由には、医師になりたいという希望もさることながら、戦争での影響も大きい。もともと医者になる気がなくても、だんだん激しくなる戦争の様子を聞くにつけて、二等兵で徴兵されるくらいなら、いっそ軍医になれば楽なのではないかと考えたり、また医専に進学して一時的に時間をかせぎ、その間に受験勉強をして旧制高校に入り直せばよい、などと考えたりする人も少なからずいたらしい。男子は20歳になると徴兵検査が待っている。だが旧制高校を経て大学へ進学すれば徴兵猶予にもなると、甘い考えを抱くものもいたようだ。確かに開戦の初期には、大学生は徴兵猶予の対象となっていた。(63ページ)

戦線が拡大するにつれ、軍医の需要も急激に伸び、軍も養成に力を入れた。引用文に出てくる「医専」は軍が軍医の養成のために設置したものだ。ただし、軍医だからといって決して楽ではなかった。戦死も多く、「学徒出陣によって出征した中では、他の学部に比較して医学部が最も戦没者の比率が高い(65ページ)」という。

ここで注目すべきは、この時点で増産された医師が戦後の医療を支えたということだろう。「終戦の時点では日本国内に約1万人の医師が残るのみであった。そこに7万人の軍医が戦地から帰還したのだ(65ページ)」。

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